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言葉を知るということは

言葉を知るということは、単に気持ちを誰かに伝えるためだけではなく、自分の感情を正確に把握することでもあると思う。

なぜ嬉しいのか、なぜ楽しいのか、
なぜ涙が出るのか、なぜ悲しいのか、
なぜ辛いのか、なぜイライラするのか、
なぜ妬ましいのか、なぜ苦しいのか。

自分のことをよく知っているのは自分なようで、湧き出る感情にちゃんと名前をつけることができないことも多い。

〇〇〇〇だから、私は嬉しい。
〇〇〇〇だから、私は悲しい。

そんな風に冷静に言葉にするには、
感情を落ち着かせて理性を取り戻す時間と、
言語化するために自分の気持ちと向き合って考える時間が必要だ。

ある程度労力が必要になるから、つい面倒くさがって感情を放棄する人が多いのではないだろうか。

周りの人に八つ当たりしてしまったり、
趣味に集中して無かったことにしたり、
「むかつく」「〇にたい」など簡単な言葉にして済ませたり。
時にはその言葉を暴言として知らない誰かにぶつけたり。

日々の生活は忙しないから、
立ち止まってる暇なんてないから、
一つ一つの感情に目を向けることは難しい。

それでも言葉にするだけで驚くほど気持ちの整理はできるし、自分という人間の本質を知ることができる。

何を言われると傷つくのか、
何をされると嬉しいのか、
何を大切に生きているのか。

知るだけで自分のコントロールができるようになるし、相手の気持ちを想像することだってできる。

自分で自分を傷つけないように、
自分が相手を傷つけないように、
傷ついても自分を守れるように
傷つけられた誰かを守れるように、
言葉を知るということは必要ではないだろうか。


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