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Dilemma

初めて生理休暇を取った。
これまで取りたくても取れなかったのは、周囲の視線だけではなく、自分自身の中でも内外の葛藤があったからだと思う。

菅内閣に劣らない女性比率の場所で、取りづらいと思ってしまうのは当然。
だけど、「(子宮の)健康は今見えるものではないからこそ、十分すぎることはない」という自分の“女性性”を大事にしたい気持ちと、「その“女性性”を言い訳に目の前にある状況から逃れようとしているだけではないか」という“女性性”を否定しようとする、この2つ自分が葛藤していた。

どちらを取るか。
こうした選択において、納得のいくロジックがないと気が済まない私は考える。

「母親になりたい」
これが答えだった。

学生の頃から、私の夢は「母親」で全ての原動力はそこから来ていた。社会人になってからは、そんな将来のことだけでなく、もっと、今ここにある現在という時間、ここにある自分も大事にしようと思えるようになったけど、「母親」が私の夢の一つであることには変わらない。

だからこそか、最近、石山アンジュさんの子宮筋腫についての投稿をきっかけに、子宮の健康について考えるようになった。

男女雇用均等法ができて約30年の社会、ストレスマネジメントが大事とされる社会で、不妊症に悩む人々も増えている。知識があるわけでないから、その因果関係は未知だけど、でも自分も同じ時代に生きていることは確か。

そこそこ学生の頃無理をしてきた自覚があるため、5年、10年先のことだからといって、これ以上自分の健康を見て見ぬ振りはできない。今目の前で、数値化、視覚化できないものだからと言って、蔑ろにしてはいけないと思った。
望む人の全ての人が命を授かれるわけではないから、こうした話題は、プライベートにされるべきで、不快に思う人もいるかもしれないけど、だからこそ、自分で考えて調べていかないと感じた。

生理休暇。まだまだこれが、社会的に、健康的に何を意味するのか分からないけど、子宮を持つヒステリックな生き物が暮らしづらい社会で生きているからこそ、気づくこともある。

金融と同じく、健康や医療は、難しいことが多い。もっともっと色々なものが数値化、視覚化されていけばいいのに。今日初めて、“健康リテラシー”という引き出しができた気がした。

自分の健康を気遣うことに躊躇いのない世の中になってほしい。

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