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日常のつぶやき

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日々の経験について感じたことを言葉にしました。
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#エッセイ

「泣くな」といった祖母のこと

「おばあちゃんはいつからしっかりしているの?」 「もう死ぬような歳の人が、しっかりしてるっ…

おめでたい一年にする!

あけましておめでとうございます! 新しい年と言われても、正直なかなか実感が湧かないです。 …

相手を知ろうという努力もしないで、相手と親しくなるためにできることを考えもしないで、深い仲の友人なんてできないよね。反省だ~。
でも、ほんとに私はそういう人が欲しいのかな。繋がり続けることの、煩わしさもある。
安心したいだけじゃないかな。いいところだけつまみ食いしたいだけなのか。

過去が、過去であるというだけで、どれほど悲しい気持ちになるだろうか。

生まれてきた時代、国は、幸せの定義さえ決めてしまうことがやるせない。わたしの普通を、手の届かない幸せと捉える人の存在を想う。求めすぎていやしないか。これ以上何を望むというのか。
けれど、この社会は何も得ようとしない人を認めてくれるほど甘くない。欲しくはないが、持たねば生きにくい。

どんな小さなことでもいい。自分の決めたことをやり遂げることが、自信に繋がっていく。自分を裏切ることに慣れると、人にも不誠実になっていく。
失敗を怖がって、挑戦しないことこそが失敗だ。どうせできないと決めつけるのは、できなかった自分を救済する無意味な保険。ネガティブを追い出せ。

完璧を目指す人間は、往々にして失敗を恐れ、踏み出すことができない。 よって、1にも辿り着けない。 その壁を越えるには、自分の弱さを受け入れること。ゴールまでのプロセスを分解すること。できないことを受け入れること。

誠実という2文字が、嘘をつかないことを指すとしたら。
誠実であるために、私は私との約束を果たさなければならない。自分を裏切らないことは、自分の心を守ること。
誰よりも長く付き合っていくパートナーは、他でもない自分。
自分との約束を守れないのに、人との約束を守れるわけがないのです。

100円を出すことに何の躊躇もなくなった時、何か大切なものを失った気がする。手のひらに包み込んだ100円が特別だったのは、自分が欲しいものもまた100円で買えたからに他ならない。
けれど今欲しいものは、お金では買えない。
酔いがすぐ醒めると知りながら、かりそめの欲求を埋めてゆく。

朝のごちそう

朝6時半過ぎ、起床。 カーテンの隙間をこじ開けるように差し込む太陽の光につられて外の様子…

求めているものが手に入らないとき、もどかしさや悲しさ、苛立ちが押し寄せてくる。孤独を感じるし、誰にも必要とされていない気がして苦しい。だけど、そういう時こそ自分が相手に何ができるか、何をしてきたかを考えるべきだ。きっと誰かに与えようという意識が状況を変えてくれると思う。

自分のことを誰かに語るとき、その誰かは「それ」を語れるほどには信頼していた相手のはずなのに、それを話してしまったことによって今までの関係ではいられないような気分になることがままある。

若いうちは物に執着し、年を重ねるほど経験に執着するような。

考えることを放棄してしまえたなら、どれだけ楽になるかと思う。けれど、考えることをやめて、その時に自分に何が残るだろう。空っぽになることのほうが辛いから、きっとやめられない。 明日のことも、残りの今日のことも、何一つわからないから今に集中して生きるほかない。楽観さが私には足りない。