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【生い立ち5】島を出て山へ。

さて、前回の投稿
【生い立ち4】西の海へ

https://note.com/haruga45/n/n7a766324d4de

の続きである。


ーーー旅の末の答えーーー


散々、生き様を迷子になった自分は
たくさんの人間と膝と膝を合わせて
杯を交わして、とことん自分と向き合った。
何日も人に合わずに自然に身を任せた。

あるところに落ち着いた。

①何者になろうとして生き急がない。

②死にそうになるまでは好きなことをやり続ける。

③お世話になった方々へ恩を返せるように、
これ以上仲間を失わないように、強くなる。



ー何者になろうとして生き急がないー


これはとにかく自惚れを捨てありのままを愛するという作業だった。

1〜4話読んでもらったらわかるが
その時その時を一生懸命真面目に向き合ってきた。

行動や言動にたくさん過ちを犯してきた。
けど、芯は一度も譲らなかった。
それがプライドになった。


けどこれは、
過去の成功や栄光で自我を保とうとしているだけのファッションになっていた。

何者でもない自分を認め
どこかでみた、「成功している何者」ではなく
「何者は自分」「自分を磨く貫く創る」へチェンジした。

この航海は、自分が主役なのだ。
自分がルフィであって、強いあの海賊やカッコいいあの海賊はどんだけすごくても脇役なのだ。


そしてその精神で②へ。


ー死にそうになるまで好きなことをー


周りの学生の将来への不安は
自発的に芽生えた不安でないことに気づいた。

世の空気が、夢を追う人間を馬鹿にする。

夢を諦めた大人が若者を笑う。

親の善意の想いがしがらみになる。

いろいろあるけれど
自分は今までカッコつけて生きてきたのに
いざ大きな選択を前にして尻込みするなんて
ダサすぎて、痛すぎて、悔しすぎたので。

強がるしかなかった。

何度も死と向き合った。

今生きているのは自分のおかげじゃない。

どーせ死ぬなら、本当に、大人の言う失敗を見てからでいいじゃないの。

絶対何とかなる、根拠のある自信があった。

僕は子どもの頃から
親に「歩き方」を教えてもらっていたことに気づいた。

親は何一つ「公式」や「答え」を教えてくれなかった。
けど

全て自分で選び、実行し、成功なり失敗をする。の繰り返しをさせてくれた。

だから目の前に起こること全てが分に来することなのだ。
親でも先生でも社会のせいでもない。

親に「こーしろあーしろ」と言われて歩けば、つまずいた時に親のせいにするだろう。

小さな規模からこれを繰り返していた。

だから今は胸張って言える。
親は失敗の芽を摘むんじゃなくて、
失敗の規模が取り返しのつくレベルのうちに子どもに自分の頭と心と足で歩かせるべきだ。


だから、その自信とプライドをもって
失敗を自分の眼でみるまでは歩いてみることにした

そして③へ。


ーーー恩を贈るために強くなるーーー


18年間生きてきて
たくさんの人間にお世話になった。

なかでもその時その時を共に過ごした仲間

そして何より旅で出逢った数えきれない恩人たち。

彼らからもらったたくさんの愛。

彼らに恩を還さなければいけなかった。

でも仲間たちはそれぞれの道を歩いているし
旅中で出逢った方々は、連絡先もしらない。
高校生が恩を返すなんておこがましい。

だから僕はみんなからもらった愛のバトンを返すのではなく還すことにした。
次へ、送るのだ。贈るのだ。

もう彼らにはかえせないけど
このありがとうを誰かに送れば
そのバトンは巡り巡っていつの日か

あの人やあの人のところへ届くだろう。

ありがとうを循環させる場をつくる。

そこで、このnoteの最初に書いた

村をつくるという夢が産まれた。

風の人から土の人へ。

旅しているときに気に入った長野へ。
山での暮らしに憧れた。

その間、島での暮らしを全うし
京都のゲストハウスで働いたり
その他いろいろブラブラした。

そして高3の3月、
仲間たちのお陰で卒業式を迎えられた。

誰よりも学校をサボって
誰よりも先生と闘って
誰よりも仲間に助けられた俺は

式で校長から卒業証書を受け取った後
後ろを振り返った。
高校3年間を共にした仲間たちがいた。

今までのnoteを読んでくれた方はわかるだろう、こいつらの存在のデカさ。

思わず深々と頭をさげた。

3年間が走馬灯のように駆け巡り
涙が溢れて止まらなかった。

頭をあげたらみんなが泣いた。

(まさかの陽我が1番最初に泣いたから、あそこでみんなつられて泣いたんだと言われた)

壇上を降りて
1番闘った先生にも深々と頭を下げてお互い泣きながら握手した。

みんな本当にありがとう。




式の後、みんなの前で宣言した。

いつか、村をつくるからきてね。

一生かけても返せないほどの恩をもらったのだから、これから一生、何かあったら全力で応援するし、向き合う。
いつでも長野へ遊びにおいで

って。みんな、覚えてるかな。笑

そして、後輩達に見送られ島を出た。


中学のあの日、

見えない未来の選択に
悩んで苦しんで迷って
やっとの思いで決めたこの道を

正解にすることができた。

(ここで脳内BGMはBUMPのロストマンを流して欲しい)


これで良かったと思えた。

3年間をかけて、いまここに安堵した。

自分で自分へかけていたプレッシャーや
鎖がとかれた。

そして、胸を張って山へ向かう。


ーーーーーあとがきーーーー


前回の記事からだいぶ時間があいた。
なんせ、過去の自分と向き合うのはとても体力を使う。

そしてこれにて、全5話にわたった【生い立ち】シリーズを終えることにする。

あの頃、その時その時を一生懸命生きたから
月日が経とうと、あの頃の気持ちにチャンネルを合わせれば忘れていた想い出が蘇るのだ。



最初は自己紹介のつもりで書いたけれど

いつしか自分の中での精算、浄化、完結の作業になっていた。

過去を過去になった。

今日は自分と乾杯したい。ありがとう。

ネガティブな部分をなるべく出したくない。
同情で人を寄せたくない。
でも初めてやってみた。

とかいいつつも
書くたび書くたびの読者の反応がモチベーションになってたのは事実で。
承認欲求の塊の僕は、みんなの言葉に背中を押された。

あなたのそのイイネや感想が、思ったより力になっていた。

この場を借りて、
付き合ってくれてありがとう。

これまでもこれからも
たぶん変わらないことは変わらずに生きていく。
その側にいてくれる人を大切にしたい。

この長い記事5つを全部読むことに時間を費やしてくれたあなたは
10年後もそばにいるかもしれない。
ありがとう。大切にします。だいすきです。

最後に、生い立ち編のエピローグを書かせてもらいます。


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