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身土不二と一物全体食をママ目線で考える

久しぶりのnote。

身土不二(しんどふじ・しんどふに)

言葉の起原は大昔の仏典に遡りますが、人間の体と人間が暮らす土地は一体で、切っても切れない関係にあるという意味ですね。

これって、ごくシンプルで、それなのにごく多面的な奥の深いことばだと思うのです。

私は、子どもを産んでからその意味を理解しようと道の途中です。

それをつくっている人の顔がみえると、無意識に全てを大切にいただけます

ママたる葛藤

ママって忙しいし、育ち盛りの子どもはお金がかかるし。

家族には、お手頃価格で栄養があって、てまひまかからず、満足度が高いものを効率よく食べさせたい。

たまには海外の珍しいお菓子だって食べたいし、旬を気にせず食べたいものを食べたいだけ出してくれるレストランは大家族にも重宝されます。

そういうものを求めることは決して悪いことじゃなくて、この社会において賢く柔軟に生きるためにも必要なことだとも思います。
昔々はトラに食べられないように身を守る事と、食べて命をつなぐことだけに必死だったけど、現代の多くの大人はそれ以外のことで忙しいですからね。
お腹いっぱい食べられて、たくさんの物質に囲まれることを目指してきて、それが叶ってくると、幸せの定義も多様になりました。

しかし、ものには限度があるはずなのに、現代の先進国では四季を無視するかのように食のカードが過剰にばらまかれており、胃腸と自然のバランスというものが壊れかかっているように思います。

借方貸方

例えば、トマトが冬でもあたりまえに安価に手に入ります。
例えば、商品棚の入れ替えは加速気味。新物初物が前倒し競争さながら、これでもかー!と所狭しと並んでいます。
さらに例えば、調味料はどんなに小さなスーパーにいってもバラエティに富んでおり、その日の気分で洋食も和食も中華もなんでも食べられちゃうだなんて、昔の人は信じてくれないでしょう。
お赤飯はさしてめでたくない日でも普通に食べられるし、昔はハレの日や貴族しかありつけなかった白米が常食となり、さらにはお米に飽きたのなら、美味しいパンはいかがですか、と。
ママの心をくすぐるのは「日持ちもするし、見た目もいいし、お手頃ですよ。」というお馴染みフレーズ。

こうなってくると、食のありがたみも暦も文化もすたれていく
一方な気がしてなりません。

大地より産み落とされ育った地で生き、死んで大地に還っていく。
借方貸方はどんな相手でもどんな場面でもイーブンであるはず。
自分の二本の足で動き回れる範囲で食べ物を探し、生きるために他の命をいただき、次の世代へつなぐ。 何代も経て、そのうち先祖たちは自らの力だけではなく4本の足、つまり家畜に頼って人や物が移動する手段も登場するわけですが、それくらいで満足しておけばよかったのではないだろうかと思うわけです。

他者を頼らねば、迷惑かけねば、私たちは生きていけないのですが、それにしたって、借りすぎちゃ、やりすぎちゃ、いけない。

そんな簡単なことを子どもに諭す前に、大人が背中を見せるべきなのです。
資源は人間だけのものではない。ひとりじめはいけない。

子どもに絵本を読み聞かせている時などに、そのようなことを感じて自分の心の小さな罪悪感みたいなのにちくんと気がつくお母さんも多いのではないでしょうか。これもまた、ママ時代の特徴なのでしょうか。

いつのまにか人々の進化は人知をこえ、人も物も大量に、早く遠くにどんどん動かせるようになり、世の中の人たちと広範囲につながれるようになり、流通も複雑になり。

おもしろい発展、発明がたくさんある一方で、人工的に便利や豊かをつくりだすと、何かが犠牲になっているという摂理を意識せざるを得ません。

藤井まり先生の精進料理と辻本 宜子先生のお赤飯。食べごたえがあります。

買い物は小さい大きな投票です

疲れた時に思い出すのはどんな景色でしょうか。ほっとしたいときに食べたいご飯は、なんですか?
故郷のご飯はおいしい。お母さんの味が恋しくなる。
考えてみれば、ごく当たり前なことですが、地産地消はとてもシンプルでリスクが低いと思うわけです。

知らないで、それを買うのと、知っていてそれを買うのでは、全く違う。
選択肢が多いということが、じつは不自由になっていやしないか?
食べるものを変えたら、体も医療費も軽くなったりしないか?
そんなことをたまには自分に問うてみてもいいのかもしれませんね。

買う人がいるから、つくる人がいます。
反対になっては、いけません。
薄利多売の構造は、私たちひとりひとりがつくりだしました。

今この国でおきている閉塞感は、他人事ではなくて、全て自分の事でした。
安いからお得、簡単だから飛びつく、を繰り返すと、何年も経って、自分の身に、または次の代、その次の代に、じわじわと影響してくるということを、自戒をこめて。

これからの未来を担う子どもたち、負債からスタートといいうのはあまりに酷です。

少しでも返せる生き方という視点を持つ大人が増えたら、明るいこともまだまだあるんじゃないかな、と思います。

土壌を守らないと、もう今食べているような野菜は食べられなくなるかもしれません。
農業というのは、環境破壊の要因でもあります。
農地の確保でじゃんじゃん森林が削られて。
高齢化が進み、農家さんがいなくなって、耕作放棄地になったり砂漠化されていったりするその様を削られた森林たちがみたらなんというでしょうか。

農薬や化学肥料に依存した現代の農業は、水質汚染や土壌の劣化を招き、生物の多様性を損なう要因にもなっています。
せめて、長く続く農地として残すのが、使命なのではないでしょうか。

畜産業というのもまた、環境破壊の要因でもあります。
畜産業から出る温室効果ガスは自動車業界を上回り、さらに広大な牧場をつくるのに森林伐採が今も行われています。
世界には飢餓で大人になれない子どもたちがたくさんいる中(地球上で9人に1人!)実は全人口を十分に救える量の穀物が生産されているにも関わらず、それらを家畜に当てがっています。
その事実を目の前に、サステナブルな社会は実現するのでしょうか。
大規模農業が悪い、工業化された畜産が悪い、と薄っぺらいことを言いたいわけではありません。
私たち、特に多くの家庭では「ママの毎日のこまごまとした買い物が、大きな投票権を持っている」ということを言いたいのです。

恥ずかしながら青しそと赤しその違いも子どもを産んでから知りました

「知らなかった!」を知ることを続ける

私には3人の子どもがいますが、下の子ほど、体も心も強く病気知らずです。
私が私なりに思考をめぐらせ、行動を変えた結果だと思っています。
妊娠中の私の食行動、離乳食期の内容、食べたものがもろに影響しているのです。というか、食べたもので、その子はできているのです。

妊娠中に血液検査をして、「鉄分が足りませんね〜」とか「体重増加はあと何キロまでにしといてくださいよ〜」とか、真面目なお母さんほどそういう言葉に敏感になり、お医者さんのいうことや育児書の書いてあることをしっかり守ろうとする傾向にあると思います。

そんな時、何をどれくらい食べたらいいのか、とか今の自分の体に足りてない栄養素は何か、とか不安になってしまうのであれば、「身土不二」「一物全体」だけ覚えておけばいいと思います。

この大地の土壌と、私の胃腸はいつまでもどこまでもつながっている。
この地域でできた旬の食べ物をたくさん食べることを意識し、
食物は全体でひとつの命、それを丸ごと余すところなくいただく。

子どもたちには、そういうことを食卓で引き続き伝えていきたいと思います。
余談ですが、つまりそれって、自分が信頼できる食材をしっかり選定するという前提があるものの、アクもとらなくていいし、水にさらさなくていいし、皮もむかなくていいし、実践してみたらアラ不思議!手をかけなくていい料理にいきつくわけです。

料理は素材と調味料で9割決まると実感しています。
忙しいときほど、手はかけなくていいから、心をかけていきたいものです。

御結びはるりん号を運転して4ヶ月経過。順調におむすび売れてます


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