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#15 腕時計に誓う

ビジネスモデルは何ですか?

「何屋か?問題」はつづいていた。
誰に、どんなチャネルで、何を提供するのか?
新しく取引を開始するときの説明だけでなく、既存のお客様への提案の中でも「会社として何を優位性にどんな成長を目指しているのか」を語るのは必要なことだった。ビジネスモデルはある意味ビジネスの共通言語だったので、それをうまく整理できていないことに苛立ちもあったし、恥ずかしさもあった。

とある年の年末、取引先の社長さんと来年の体制について打ち合わせし、その流れで年末だしお酒でも、となりゆっくり食事をして帰った日があった。「来年はこうして行こう」を語る楽しく有意義な席だったのにも関わらず、わたしは帰り道の地下鉄でモヤモヤとした感覚に襲われていた。どうも、さっきまで話していたはずの、来年の話がわたしの中でイメージとして立ち上がってこない…。たしかにそんなふうに拡張していければとは思うし、モデルとしてはとてもいいと思ったが、肝心のワクワクがどこかにいってしまっているのはなぜなんだろう。そんなとき、地下鉄に揺られながら急に頭の中にお告げのように現れた言葉があった。。。「個をみろ」

酔っ払って、腕時計を買う

なななんだ?それってどういうことなのかな?
自分の脳内にふと現れた言葉に動揺しながらも、「これは何かとっても大切だから覚えておかないと!!」と、スマホでメモは残したがこんくらいじゃ足りない気がした。で、酔っ払った頭で唐突に思いついた手段が「腕時計を買う」。乗り継ぎの駅で急いで時計屋さんを見つけ、自分にしてはちょっと奮発した腕時計を買った。そして、その腕時計を凝視して誓った「個をみる」!!!

さて、翌日から何度もこの言葉を反復しながら、自分が何を大切にしたいのか、その感覚を口をすぼめながら考えていた。
「俯瞰して見ること」「モデルをみること」があたかも正義のように思ってしまっていたけれど、思い込みを解除しメンバーそれぞれをもっともっと個別にみるとどうなるのだろう?

あとから思うと笑える必死の思いつきだったが、この方法はとてもよかった。腕時計を見るたびにわたしは「個をみる」を思い出した。

気づく、という楽しみ

そう考えて眺めてみると、違った景色が見えてきた。このころにはナラティブベースのメンバーは25名くらいになっていたが、「何屋か決めず」にさまざまな仕事にチャレンジしてくなかで気づいたそれぞれの強みを、どう次の仕事につなげていくかを模索している状態だった。

わたしはメンバーがその模索の中でふと見せる、なんともいえない満足げな表情が大好きだ。
・何かコトがうまくいっているとき
・さらなる発展を想像するとき
・そしてその中で自分が活躍する姿をイメージできたとき
人はなんだかニヤニヤとする。
何か隠しきれない微笑みが顔の中に埋まっているようだ。」そして、そういうときはその人の得意なことが溢れ出るときで、大抵いい仕事につながって行った。

これは子育てでよく感じていた子どもの観察から感じる面白さとよく似ていた。「ああ、こんなことが得意かも…そしてそれで活躍できたらいいなぁ。」そんなヒントは、あるときふと訪れ、本人が、周りが、その感覚に「気づく」楽しみは何ものにも変え難い原動力となる。

この頃、個人的には子どもが2人とも10代に突入しそれぞれの個性がどんどんと芽吹いていく時期で、会社育てと子育てはより一層リンクしていった。
わたしはこの不思議な腕時計購入をきっかけに?!ビジネスモデルそっちのけで「個をみる」に、夢中になっていった。

つづく。

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