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1月を振り返る

緊急事態宣言もあり、成人式はオンライン開催でむかえることになった。20歳という節目を迎え大人になったという実感はないが、最近おもったことがある。そのことを今回は書いていこうと思う。

今までの私は、他人の気持ちなどわからないし完璧に理解することはできないとおもっていました。体が別個である以上、感じたことを共有できないしそれを表すには表情や言葉を駆使しなくてはならない。

色をたとえにするとわかりやすい。

日本では青色だと考えられていたものが、海を越えた海外ではgreenとして共有されていたり、空にかかる虹を七色どという人もいれば5色だという人もいる。これは、色に対する認識、定義が存在しないことによるギャップである。

このように自分の感覚を定義された言葉でそれに近いこを表現する作業を行い共感している。

成人を迎え、大人という定義になった私は、大人を「完全な存在」という認識から「未完成な存在」という認識に変わった。

小さいころは身近な大人、家族は何でも知っていてっわからないことがあれば教えてくれる存在であった。これは当時の自分からみるととてつもなく賢く高い壁のような感覚を覚えたと思う。

ましてや両親は子供を育てるために働いて、ごはんを与えてくれ育ててくれるため両親のようになれれば大人だとおもっていたとおもう。

しかし、両親は子供を若くして産みなにをどうしていいかわからない状態で苦悩しながらともに成長していっていたのだと思う。

完全な存在だとおもっていた大人に自分が並ぶことで不完全だと気付き、自己を律することでさらなる成長をしなければならないとおもった。

1月が終わり、今年の5月には試験があるのでまずは自分の実力を信じ、自己実現を果たしたいと思う。

追記 オートファジーはじめます。

HARüKI OKUBO

毎日とうこうしてる気ままな大学生です