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あけましておめでとうございマッスル

新年は、実家の大阪に帰って
兄家族と両親とわたしの6人でにぎにぎしく過ごしております。


実家に行く途中に、「天王寺」というJRの駅を通過するんだけど
そこに、母の好きな551があるのね。

その、天王寺の551は、作っているところがガラス張りで外からでも見えるようになっていて、長蛇のお客さんの列にわたしも並んで待ってました。
たまたま、私の前は、海外からの観光客カップルがいて、551の作業場は、彼らに目新しかったんでしょうね。
女性のほうが、作っているおばちゃんに対して、カメラ片手に表情で
「撮影してもオーケー?」
と聞いて、
おばちゃんのほうも手と目の表情で(口はマスクで隠れてるから)
「オーケーオーケー!」
ってやりとりがあって、女性が嬉しそうに2〜3枚パシャパシャと写真を撮ったのです。


その光景を目にして、元旦からとても胸と目頭がぢ〜〜〜〜んとしまして。
明らかにコトバが通じない相手とコミュニケーションする時って
ほんと、気持ちが通じるかどうかじゃない?
もちろんジェスチャーは必須だけど、それ以上にお互いが相手の気持ちをなんとか汲み取りたいと思う、その優しさが、私の胸をイッパイにしてくれました。

撮影後、「サンキュー」というふうにお礼を伝えようとする姿、おばちゃんも、「どういたしまして、よい1日を!」という気持ちを伝えようとする姿、とても感動的だったんです。

たぶん、その女性と一緒いいた男性も、それをたまたま見たまわりのお客さんも、心がホッコリする時間だったんじゃないかな。


コトバが通じないからこそ、「どうしたの」という気持ちで相手を思いやれる瞬間がある。
人としての、原始的な優しさが生まれる。


そういう優しさがある「人」っていう生き物は、まだまだ希望にあふれてるね。

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