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世界は信じた方向に広がっていく
私の高校3年生の時の同級生に、野口五郎くんという、あの芸能人と同姓同名の男の子がいました。
野口くんは野球部のキャプテンで、高3でクラブを引退してもまだ野球三昧、マルコメ味噌のような昔ながらの丸坊主で、授業中は無駄話が多く、いつも先生に目をつけられているようなキャラでした。
高3の文化祭の時に、クラスの出し物で、お笑い要素をてんこ盛りにした、「大阪版ロミオとジュリエット」をする事になり、私と野口くんは舞台の飾りや衣装のことで話をすることがありました。
「そういえば、野口くんは大学どこ行くって先生に言ったん?」
野口くんはキラーンとした目をして
「俺な、野口五郎計画立ててるねん!」
と言って、野口五郎計画というのが ”五浪(5年浪人)するまでに京大に受かること、つまり野口五浪計画”だと説明してくれました。
私が通っていた高校は、学年で50番くらいまでは東大と京大にA判定が出るような進学高校だったのですが、野口くんはその時点では、学年で400番よりも後ろの成績です。
しかも、野口くんて実は頭いい!と思わせるような事はこれまで何もなく、見るからにお笑い大好きなお気楽スポーツ少年だったので、なんだか現実離れした計画だなぁと思いながらも、まんざらでもなさそうな本人の熱意に、「真剣に勉強したら現実が見えてくるで・・・」と思ったのを覚えています。
それに、自分で勉強していても、京大以上を狙う人たちを見ていると、努力だけでは追いつけない「勉強の才能」という壁があるような気がして、努力しても京大にはいけないなぁ、、という諦めが入ってきていた時期でもあり、自分より成績の悪い野口くんが京大を目指すなんて、と、いささか図々しくも感じました。
そして野口くんは、現役でちゃんと京大を受け、そしてちゃんとスベりました。
それからは、特に共通の友達もおらず高校卒業後は全く彼のことは思い出すこともなく、7年の年月が過ぎていきました。
次に彼のことを思い出したのは、20代後半になって開かれた同窓会の時です。
男女の交際すら禁止されているような真面目一徹の学校、当時の生徒たちはそれはそれはイモっぽい様相だったのに、20代後半ともなるとそれぞれに今どきになっていて、久しぶりの再会も、堂々と一緒にお酒を飲めることも、とても楽しく過ごしました。
同窓会に野口くんは来ていなかったのですが、京大医学部出身の女の子がきていました。
”京大”と聞いて、野口くんのことを思い出したので、その後の顛末が気になって聞きました。
「そういえば、野口五郎計画ってどうなったん?
野口くん京大来た?」
すると、彼女の口からは私の想像を超えた答えが返ってきたのです。
「野口くん、三浪で医学部に入ってきたで!」
「····え。看護学科やろ?!笑」
「ちゃうちゃう、おんなじ医学科やで。
あの名前は忘れられへんわ。」
たしか当時は、目指すのは工学部と言っていたような気がするし、それも無理だろうと思っていたのに。
彼は3年で医学部に合格していたのです。
野口くんは、高校を卒業してから、それこそ、気の狂うような努力をしたに違いない。
その彼の努力を想像すると、私はぶわっと涙が出てきてしまいました。
感動の涙というより、彼が3年間苦労して苦労して、苦しかったに違いなかった日々のことを思うと、彼の並外れた忍耐と、自分を信じる強さに、圧倒されてしまったのです。
私は、高校で真剣に勉強したつもりだった。
京大以上にいけるのはきっと勉強の才能がある人なんだと思って、それがないから行けないなって思ってしまった。
でも、私が受からなかったのは、才能が原因じゃなかった。
合格すると信じて、努力をしなかったことが原因だったんだ、と分かったのです。
「世界は、信じた方向に広がっていく。」
野口くんは、揺るがない心で、京大に合格する自分を信じ続けたからこそ、努力できたんだと思います。
その未来を信じれば、そこに向かう道中にも、疑いは生まれないものです。
ただただ、向かっていくだけ。
人間の底力とは、なんと美しく、想像を超えていくものだろう。
怖いのは、苦しい努力じゃない。
本当に怖いのは、挑戦しないことで、どんどんと夢が逃げていくことだ。
自分信じる世界を、ただただ信じて現実にしていった野口くんが ”野口三浪計画” をもって教えてくれました。
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