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壁と花

昨年の秋頃から古い壁やコンクリートの上に茂る葉やドライフラワーや
散っている途中の花に妙に魅力を感じるようになった。

壁も葉も花も、生きているもの。
どれも「そこに存在しているから」劣化したり枯れていく。
本来の姿は終わってしまったけれど、その上に葉が茂る。
その葉が枯れるとまた新しい葉が。
生と死の繰り返しのように見える。

花も「生の花としての役目」を終えると
ドライフラワーとして生き始めることができる。


会社員時代、アパートの敷地内に植えてある木の
花の蕾が開くのを楽しみにしていた。
その後繁忙期となってしまい、花の様子を伺うことなどすっかり忘れてしまい
気付いた時には花は散ってしまっていた。
忘れた、と言うより心に余裕が無かった。
そのことが悔しく感じだと同時に情けなさや心が死んでしまったような
感覚にもなった。

自分の心を死なせないように、枯らさないように
沢山の花を買って部屋に飾った。
心に余裕がある時は世話をしたり観察ができる。
心に余裕が無い時は枯らしてしまう。
花を自分の心のバロメーターとして使っていた時期があったのです。

学生時代、私の死にかけの心を救ってくれたのは金魚でした。


企画展や個展の会場にはよくドライフラワーを飾る。
私の作品の中の花は生きている。
会場と作品の花で「生と死」を表しているのです。


生と死。
身近な風景の中からふと見つけることができたから
魅力を感じているのかも知れない。


ふと思い出した独り言でした。

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