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ムイビエンな居場所

2013年5月12日
引退を考えていた大原はじめ選手(以下ムイビエン)は、謎のマスクマン・マイバッハSUWA Jr.としてノアマットに参戦しました。
(参戦の経緯については「ジョンウーに込めたムイビエン」をご参照ください)

ムイビエンがノアに継続参戦する意思が初めからあったかどうか私は疑問視しています。
あくまでSUWA選手の代役という立場での参戦のため、SUWA選手が復帰した場合はフェイドアウトしていくつもりだったのではないかと思っています。
ただSUWA選手の復帰がスグには難しい状況と、大人気ユニットのNO MERCYに加入していた状況もあり、外敵チャンピオンの獣神サンダーライガー・タイガーマスク組に挑戦する機会が訪れます。そこでマスクを剥がされたマイバッハSUWA Jr.は素顔のムイビエンとしてノアの継続参戦を選ぶことになりました。

当時のプロレス界といえば、エンタメ路線に大きく舵を切った新日本プロレスが、ランチェスターで言う「相対的安定シェア」を確立していました。時代はノアのスポーツライクなプロレスから乖離しててる状況だったのです。
生え抜きが多い当時のノアマットにおいて、海外で大成功後に逆輸入レスラーとして凱旋してきたムイビエンの経歴は異質なものでした。経営方針、社風などムイビエンにとっても新しい体験であったことは想像できます。
まったく違う文化を持つがゆえに、変革の必要に迫られたノアがムイビエンを必要するのは必然だったのです。

ノアに定期参戦の目に見える成果のひとつとして、人気ユニット「超危暴軍」の立ち上げに成功します。
サスマタ、竹刀、石斧などを定番ギミックとして扱うスタイルは、それまでのノアにはないものでした。異なる文化を持つパートナーの拳王選手とムイビエンの意思が大きく影響してることは想像に難くありません。

ムイビエンはデビュー後いろんな団体に参戦していますが、ノアが一番長く参戦している団体です。
2014年8月2日 第8回日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に優勝したムイビエンはリングで以下のコメントを出しました。
「俺にプロレスをやるチャンスをくれたノアにはすげぇ感謝してる。プロレスを辞めないで結果を出せた。ありがとう」
その後のムイビエンのファイトスタイルやコメントは『自分よりも団体』で一環しています。

ムイビエンはようやくプロレス界に居場所を見つけたのです。

【補足①】
謎のマスクマン時代に一番ストレスだったのは、ムイビエンに行く時に『いくぞっ!ムイビエン!』と叫べなかったことだそうです。
信じるか信じないかはあなた次第です。
【補足②】
私がマイバッハSUWA Jr.=ムイビエンと見破ったのは2013年7月7日の有明コロシアム大会です。素顔のムイビエンが後ろの通路をのん気に歩いていました(笑)
ちなみのその時のフィニッシュは「ムイビエン」では無く「変形逆エビ固め」です。

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