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日本で触れる情報/世界に流れる情報

はじめまして/こんにちは。

今日は、日本語で触れる情報と英語で触れる情報について、思った事を書いてみます。

日本語で目にする報道情報は偏っているなぁ、と感じることはありませんか。特に新聞・テレビ。
私の体験から言えば、例えば、海外旅行に行った際、
空港やホテルで流れるテレビニュースで、やけに中国のニュースが多いな、とか。
日本関連のニュースって全く報道されないな、とか。(まぁ、これについては、世界にとって良くも悪くも注目すべき話題がない国として見られているからなのかもしれませんけれども)

もしかして日本は情報鎖国ガラパゴスされているのではないか、と、15年前の新婚旅行中に、なんとも言えない寒さを感じたことを思い出しました。

最近に限って言えば、コロナの報道でも、アメリカ大統領選挙の報道でも、同じようなうすら寒さを感じてきました。
日本のウェブサイト上に流れるニュースと、ここアイルランドで目にするニュースは、内容もタイミングも違うことがままあります。

・・・私が目に入れる情報は、誰がその正確性を担保しているのか。報道するタイミングによって受け手の反応も変わってくる。誰がそのタイミングを操作しているのか。
考えればキリがありません。。。。

私にできることとしては、インターネットは全世界に向かって開かれていますから、自分の手を動かして自発的に情報をキャッチすること、くらいでしょうか。地球の反対側のニュースでも朝起きてすぐニュース番組より早くキャッチできるし、自分で取捨選択することもできます。
しかし、単なる一市民の自分が目する範囲など、たかが知れています。情報も買い物と同じように、一つずつ失敗を重ねながら質の良いものを選び取れる審美眼を磨き続けなければならないと思っています。

ついでに、昔話をもう一つ。2005年頃でしょうか。
英語も日本語もできるイラン人の同僚に、どうやったら英語が上達するかを尋ねた時、「日本は、日本語に翻訳された世界の本が溢れている。ソフトも日本語になっている。でも私の国で最新の情報を得るには、英語が必要なのだよ。」と言われた言葉が耳に残っています。

本当に、世界中の本をこれほど日本語に翻訳できている日本って素晴らしい。ここに英語で得られる情報が上積みされればさらに世界が広がるはず。
日本語で得られる情報の利点、英語で得られる情報の利点、それぞれバランスを取って自分の中で資産にできるよう、日々精進したいと思います。

ここまでお読みくださりありがとうございました。

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