仕事において、俺なりの『センスが悪い』の定義
仕事したことない奴が仕事について語るなよ、というね。
それは真っ当です。すいません。
までもnoteなんで、好きに書くよ〜。
楠木さんの『好きにしてください』って本で、いろんな人からの質問に楠木さんが答えるんだけど、その中の1つ。
『息子を東大に行かせるかハーバードに行かせるか迷っています、どちらにすればいいでしょうか?』っていう質問があった。
で、楠木さんは、どっちでもいいけど、とりあえずナンセンスって答えてた。
楠木さんの回答はこんな感じ。
『どうして子供をその二つのどちらかに行かせたいのですか?
それはおそらく、子供にいい環境を提供したいからでしょう。
それはどうしてですか?
それはおそらく、子供がやりたいことを実現させたいからでしょう。
それはどうしてですか?
それはおそらく、子供に幸せになって欲しいからでしょう。
だとすれば、やるべきことは、子供がやりたいことを実現するのを手伝うことではないですか?
だとすれば、やることは、子供をどこの大学に入れるか迷うことではなくて、子供が何をしたいのか聞くことではないですか?』
結構引用が長くなった。
これを読んで、なるほどなあと思った。
つまり、子供をどっちの大学に行かせるかって具体で悩んでたわけだけど、そもそもどうしてそれを悩むかっていうと、最終的には子供に幸せになって欲しいっていう抽象的な目的があって、そこまでわかると、子供の話を聞く、っていう新しい具体の選択肢が出てくる。
で、こうやって、具体と抽象の行き来ができることが大事なんだ、ということを言ってるんだなあ、って思ってた。
さっきまでは。
しかし、それでは不十分だとさっき気づいた。
実は、この質問は、外資系の銀行に勤めている人がしたもの。
で、それを見て俺は、なんで仕事できるはずの人が、こんなセンスない悩み方をしてるんだろう、と思ってた。
で、さっき、マッキンゼーとボスコンって資料の作り方が一緒だなー、って思ってて、あ、って思った。
まずその説明をするね。
彼らは資料を作るときに、まず結論から行く。
つまり、最終的にこういう結論を言いたい、っていうのを決める。
そして次に、そのためには、これとこれとこれの要素が必要っていうのを決める。
そして、こういう情報を集めればいいっていうのを決める。
彼らはこれを空パッケージとか言って、最終的に言いたいことはこれで、そのためにこういうプレゼンの流れだから、そのためにこういう資料が必要だから、それを作るために情報を集めよう、ってやる。
普通、資料を作るときは、まず関係のあることを一通り調べよう、ってなると思うんだけど、彼らはそれをしない。
で、それはいいんだけど、どうして空パッケージができるかっていうと、彼らは抽象を与えられているから。
つまり、資料を作るときっていうのは、すでに目的が与えられている。
例えば、営業先でこの顧客にこういう商品をアピールしたい、とか、こういう新規事業をやりたいから役員に承認してほしい、とか。
つまり、目的がもう決まってる。
だから、あとはその目的から具体をおろしていけばいい。
営業先にアピールするって目的が決まってれば、相手のメリットを強調すればいいから、そのために必要なグラフはこれとこれで、そのために必要なデータはこれとこれで、、みたいな。
つまり、抽象が与えられてるから、あとはただ具体を下せばいい。
具体と抽象の行き来っていう時に、俺はロジックツリーをイメージするんだけど(下に図を書くね)、仕事っていうのは基本的に、抽象が与えられてて、それを具体に下す作業なんだと思う。
これって受験もそうで、まず目指す大学の偏差値って目標があって、そのためには何をすればいいのかっていうのを分解して考える。
特に英語とか、文法と単語と熟語に分けて、それぞれを勉強する。
つまり、とにかく要素に分解していって、分解し終わったら、一つ一つに取り組んでいけばいい。
つまり、抽象=目的が与えられた状態からスタートして、それを分解して、要素ごとに実行するってことが基本。
なんだが、もし本当に上に行きたいなら、それじゃダメだ。
どうして経営者とか社長がいるかっていうと、例外的なものを判断するため。
つまり、マニュアルに沿って対応できない例外的なことに対応するために、エグゼクティブは存在する。
で、これはどういうことかっていうと、例えば例外的なことが起こったとして、それは明らかに具体。
例えば、取引先とトラブルがあった、とか、災害で緊急事態になった、とか。
そういう例外っていうのは、まず具体から始まる。
そしてエグゼクティブは、どうするのかって判断を迫られる。
この時にどうやって判断するかっていうと、エグゼクティブは、今、目の前で例外として起こっている具体は、結局どういうことなのか、っていうのを考える。
例えば、新規事業をやるかどうかの判断にしたって、これは結局どういうことで、これは会社の今の状態に照らしてやるべきなのか、という判断をしないといけない。
これはつまり、新規事業って具体から、これはどういうことなのか、っていう抽象に上って、だとしたらどうするのか具体を判断する、っていう、具体の上り下りをしている。
普段の仕事のレベルでも、ただマニュアルに従って働く真面目な社員よりも、このマニュアルはなんのためにあるのか、具体から抽象を考えて、こういう目的のためにこのマニュアルがあるけど、むしろマニュアルと違う新しいやり方の方が生産的だろう、っていうのを考えられる社員の方が、組織にとってはプラスになる。
こういうふうに、本当に上に行きたいのであれば、抽象から具体を下す作業だけではなくて、具体から抽象に上って、かつそこから新しい具体を下す能力がないといけないんだと思う。
つまり、具体から自分で抽象=目的を設定して、そのために新しい具体を作る能力。
今やってることはなんの目的でやっていて、その目的に沿ったもっといい方法を考え出す能力。
冒頭の外資銀行の人は、抽象から具体に下すのは得意でも、具体から抽象に上ることができなかったんだろうな、という。
いやもちろん、抽象から具体に下りるのはすごく大事で、それができた上で本当に上に行きたいなら、って話ね。
で、結局、俺の『センスが悪い』って言葉の定義は、
『抽象から具体におろせるけど、具体から抽象に上って、そこから新しい具体を下せない』こと。
そして、本当に上に行きたいなら、重要なのは、抽象から具体じゃなくて、具体から抽象なんだと思う。
つまり、下りじゃなくて、上りが大事。
これは、かなりいい線行ってると思う。
思うってか、感じる。
『ああ、これは多分正しいわ』って感じがする。
これを読んだあなたが、これから少し上りを意識してくれるといいな。
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