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金メッキ時代のアメリカ上流階級『エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事』作品レビュー

こんにちは。夏目です。
昨日今日と、街で着物姿の女の子たちを見て可愛いな~と思っていたら「成人の日」なんですね。

ちょっと寒そうだけど、カラフルな着物姿はやっぱり華やかでした。
(せっかく新調したのだろうに、スーツ姿の男の子たちに注目出来なくて、、ごめんね!)

今月から「もっと映画が好きになるラジオ」では1870年代~1895年までの映画前史に突入しました。

アメリカの南北戦争終結が1865年なので、そこからの約30年間を振り返ろうという1か月です。

私はラジオをきっかけに改めてアメリカ史を学んだのですが、知っているようで全く知らなかったのがアメリカという国でした。
その成り立ちも歴史も思想も日本とはまるで違う。
知れば知るほど、ぼんやりとしていたアメリカの輪郭がくっきりと見え始めた気がします。

今日はアメリカ史的には「金ぴか時代、金メッキ時代」と称される時期南北戦争終結後からの約30年間のアメリカ上流階級を舞台にした「エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事」という作品を紹介したいと思います。


アメリカン・ドリーム。
誰もが平等にチャンスが与えられ、努力すれば夢が掴める国アメリカ。
この言葉はアメリカを表す言葉として広く知られていると思います。

鉄道王ロックフェラーや石油王カーネギーなど、一代で財を成した大富豪が生まれたのがこの時代なので、まさにアメリカン・ドリームが実現していたのです。

つまりアメリカン・ドリームとは何も持たない移民や流れ者が未開拓の物を獲得し、それに価値を与えられることによって金銭や社会的地位を得て、成功を勝ち取る。このような「獲得」の精神構図になっていました。

未開地やまだ見ぬ物質に夢をみて投機を行う人々であふれかえっていたのが金メッキ時代のアメリカですが、投機には失敗も付き物なので(というよりほぼ失敗に終わるのだと思いますが)一攫千金を狙った結果、すべてを失った市民が仕事を求めて長蛇の列作る姿があちこちで見られたようです。

一方この時期のアメリカにも上流階級が存在していて、一部の富豪は有り余る財産や時間を政治や発明、研究に費やしていました。
彼らの探求心もしくは暇つぶし、またはビジネスの才能によって、新たな技術が開発され、多くの発明品が誕生した結果、発明大国としての存在感を示すことになるのも金メッキ時代のアメリカです。

実は映画の誕生と大きく関わる連続写真も、そんな富豪の思い付きからはじまった発明品の一つなんですよ。

今日はそんな金メッキ時代におけるアメリカの上流階級を描いた作品を紹介したいと思います。
先週に引き続きマーティン・スコセッシ監督作品の中から1993年に製作された「エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事」です。


■エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事
1993年製作/アメリカ
監督:マーティン・スコセッシ
出演:ダニエル・デイ=ルイス、ミシェル・ファイファー

【ストーリー】
19世紀後半のNY社交界を舞台に繰り広げられる、貴族階級からはみ出た伯爵夫人と、その幼なじみの弁護士の静かな恋愛を、イーディス・ウォートンの原作に基づきM・スコセッシが描いた作品。

オペラ観賞に訪れた弁護士のニューランドは、幼なじみの伯爵夫人エレンに再会する。彼女には離婚を認めようとしない夫がいて、彼にも婚約者がいた。そんな状況の中で、奔放な彼女にニューランドは心惹かれていき……。

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この作品を観ていて面白いのは、自由の国アメリカに存在する「上流階級」というコミュニティの生態です。
歴史の浅いアメリカには、ヨーロッパのような”伝統的な”貴族が存在していません。では主人公であるニューランドが所属している上流階級とは一体何でしょうか。

おそらくアメリカでの事業に成功し一代で富をなした富豪の親族か、何らかの事情で”本国”イギリスから流れてきた上流階級の人々なのでしょう。慣習に縛られている彼らが口にする「自由」とは、どこかヨーロッパ貴族に対する強がりのようにも感じます。

フランスから取り寄せた本を読み、オペラを鑑賞し、豪邸に西洋の絵画を飾る彼らの煌びやかな生活はヨーロッパの上流階級が見せるお手本から逸脱しないよう、互いに律しあう監視社会のように思えてきます。

この一見不自由に見えるアメリカ上流階級ですが、ヨーロッパ様式の生活を守ることで”正しい”生活様式を送る彼らにとっては、この不自由こそが安心感につながるかもしれない、そんな気がしました。

ところが主人公のニューランドは伯爵夫人のエレンと出会う事で、今まで快適だと思っていた当たり前の環境に息苦しさを感じるようになります。

しんしんと自分の内に積もっていく恋心。

この映画は大人の恋愛模様を描いているわけですが、私は色恋よりもニューランドに起きたパラダイムシフトの行方が気になって仕方がありませんでした。

ニューランドの前には、彼を取り巻く上流階級という壁が高くそびえています。エレンを手に入れるために、ニューランドは今まで自分を守ってくれていたその高い壁を飛び越えるしかないのです。


でも待てよ。
愛する人と手を取り合えば、どんな環境で暮らすことになっても耐える事が出来るのでしょうか?

もしかしたらそうなのかもしれません。
「愛さえあれば生きられる」という言葉はとても美しく、高潔で、理想的にも聞こえます。

だから例え今まで暮らしてきた場所から村八分にあっても、行き着いた先で「部外者め!」と石を投げられても愛する人さえいれば幸せに生きていける人もいるのでしょう。

でも私自身はどうだろうと考えてみると、それで幸せに暮らせる自信はないのです。


もし愛する人が虐げられたり、のけ者にされるなら、そして私が死んだあと愛する人がそんな環境でたった一人残されてしまうとすれば、自分の人生が幸せだったと満足しながら目を閉じることは出来ません。

だとすれば、たった一人で慣れ親しんだ環境から旅立てばいいのかもしれない。

例え村八分にあっても、石を投げられても、そうしなければ生きていけないと思うなら外部の声は気にならないのかもしれませんよね。

でも、愛する人を手放すことで私自身が不幸になるなら一人きりの旅立ちを選択することに意味を見出すことが出来ないのです。

ニューランドは伝え聞く異国の国、日本に理想郷を見ていました。
自分を苦しめるアメリカ上流階級と遠く離れた夢の国、日本。
この両極端な土地の間で苦しむしかなかったのがあの時代に生きたニューランドという男性だったのでしょう。

その制約こそが私たちの心に響く物語を紡ぎだす要素ではありますが、我々自身はニューランドのように今いる場所と桃源郷の間で苦悩する必要はないと思うのです。

愛する人と共に中立国を渡りながら理想の土地を目指せばいい。それは簡単なことではないと思いますが、自分の人生を全うするにはそうするしかない
とも思うのです。

この映画のラストではニューランドが生きたその後の約30年をカットし、20世紀を生きるニューランドの姿を見る事ができます。
彼は自分の人生を生きる事が出来ているのか?
あの時ニューランドの心の内にはどのような感情が渦巻いていたのでしょうか。

映画では語られないニューランドの歩いた道のりを想像しながら、彼の選択が人生にとってどんな意味がありどんな影響を及ぼしたのかを考えていました。

そして、私の選択が私の人生にどんな影響を及ぼすのかについても。私はこれを考えるのが映画の愉しみでもあると思っています。

「エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事」はAmazonプライムでレンタル視聴が可能です。
予告はこちら↓
https://www.youtube.com/watch?v=HVEFg5jcRL0

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