見出し画像

世界は思ったよりも温かかったと気づいた日

「私は必要とされていない」
「私は望まれていない」

記憶にも残っていない、私がまだ自分では何もできなかった小さいころに、自分自身で植えつけた信念。

その信念が、こんなにも自分自身を深く傷つけていた。

ーーーーーーーーーーーー

友人の個展に行ってきた。
まだ出逢ってから1年も経っていない、けれど、一緒にいるとなぜだか安心できる友人。

そんな彼女が織りなす空間は、とてもあたたかだった。
あたたかな空間には、あたたかな人々が集う。

才能ある人々に囲まれていても、なにか焦りを感じることなく、

自分が受け入れられている、感覚
そのままの私でいても、いい、感覚
ただこの場にいるだけで、いい、感覚

私は徐々に、そんな感覚に満たされていった。

この空間を共有している。
ただそれだけで、とても満たされた気持ち。

そんな中で起こった、ある事件(というか、事故)。
私は、ギャラリーの建物のものを、意図せずして壊してしまった。

ごめんなさい。
やってしまった。
ああ、私はいつもこうだ。
なんでこうなってしまうのだろう。
私は、ここに来るべきではなかった。
私は、この世界に歓迎されていない。

あっという間に私の思考は飛躍して、
「私は必要とされていない」
「私は望まれていない」
というところに着地する。

最終的に、
老朽化もあったし、大丈夫だよ、と許しが得られたとたん、
ホッとしたのか、なんなのか、涙が溢れてしまった。

友人のあたたかい手が、背中に沿えられているのを感じた。

そして最後、お別れをするとき、友人と、その場にいてくれていた人がくれた、あたたかいハグと、優しい言葉。

優しさが、沁みた。

私はここにいてもいいんだ
それがより確かな感覚となって、私の中に入ってきた。

また、涙がこぼれた。

昔、小学生〜大学生くらいまでは、人前で泣くのは恥だと思っていたし、それが喜びの涙であれ、悲しみの涙であれ、感動の涙であれ、人前では涙を見せない、というのがなぜか自分の中で強固なプライドとして確立されていた。
こんなプライドは最近はほぼなくなっていて、むしろ人前でも自分の感情をさらけ出せるようになりたいと思っている。
といいつつ、やはり人前で涙を流すことには抵抗がまだまだあるのだけれど…。最近は、涙のコントロールが効かないというのも事実。

これもなにか意味があることだよ。
そう言われたとき、
そんなの嘘!これになんの意味があるというの?
私は本当にタイミングの悪い人間だ…。最悪だ…。
と思っていたけれど。

この事件のおかげで、私は私自身の抱えていた、傷の深さに気がついた。

そして、それをあたたかく包んでくれる愛が、この世界にはある、ということも教えてくれた。

実は私は、ここ最近、本当は、ずっと、なんだか泣き出したいような、そんな気分だったんだ。
なのにちゃんと泣けない。
そんなもやもやを、知らず知らずのうちに抱えていたんだと思う。

だから、帰り道、一人で歩きながら
思う存分に涙を流せて、少しスッキリした。

ありがとう、世界。
ありがとう、私の友人。
ありがとう。その場にいてくれた、すべての人に。


はる
2024.1.31


気に入っていただけたらサポートしてもらえると嬉しいです♪