角田光代の平凡っていう短編集を読んだ。
こともなしっていう話で、主人公は幸せではあるけど平凡な日々の中でもしもの世界線の自分と今の世界線の自分の幸せを比べてしまう。だけど、色々あってもしもの世界線の自分も平凡な生活を送ってるんだろうなと思って(想像)終わる。

主人公が今の生活にもんやりした気持ちを抱いてるという感じのところで、

「晋一は米粒のはりついたごはん茶碗を差し出す。」

という文あった。この文を最初読んだ時、「米粒のはりついた」とかいう必要あるかっていう違和感を感じた。ここまで具体的ではないけど若干の違和感でもう一回読んだ。

そしたら、書く必要がないことがはっきりわかって、その意味を考えたとき、このシーンにおける主人公つまり語り手の心情をこの文節に託してるのかと思った。

自分はご飯茶碗を差し出されたとき、それに米粒がはりついてたら、ぼんやりと米粒が張り付いてるなあと思って、思ったあといやってほどじゃないけどもんやりした気持ちになるとおもう。
この気持ちは多分プラスかマイナスか0かでいうとほぼ0のマイナスな気がする。誰にも言わないけど。

主人公の心がその雰囲気をまとってることの説明なんじゃないかと思った。

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