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ローカル線紀行#02 七尾線・のと鉄道線 金沢〜穴水

七尾線

 東へ向かう線路は、金沢から二俣に分かれる。北へ向かい、能登半島を目指す七尾線・のと鉄道線。そして、東へ向かい、富山や新潟、果ては青森や札幌へと繋がるIRいしかわ鉄道線(かつての北陸本線)。

 金沢に来たことを実感させてくれる鼓門をくぐり、金沢駅構内に入る。ちょうど朝7時前という時間ということもあり、制服姿の高校生がバスに乗り込もうとしている。自習なり朝練なりに励むのであろうか。

鼓門

 18きっぷに判子をもらい、列車に乗り込む。茜色の帯を纏った普通列車。いまや第3セクターとなった旧北陸本線を東に行く。

 しばらくは田園地帯ばかりの中に住宅地、といった光景が続く。鉄路を快走し、東金沢、森本と止まっていく。上りの列車が満員になっているのが見える。この辺りの駅でも降りてみたいが、18きっぷ利用では絶対に降りることが許されない。

本津幡駅

 津幡からは七尾線に入る。七尾線に入ってもしばらくは津幡町の市街地が続く。中津幡や本津幡でも乗客を増やし、8号線バイパスと並走しつつかほく市へ向かう。かほく市に入ると、宇野気駅に停まる。この地は「宇ノ気」が正式な表記であるとともに、近代日本を代表する哲学者・西田幾多郎の出身地である。同地には彼の遺品を展示した博物館もあり、一見しておく価値がある。

 しばらくは田園と集落が交錯する風景が続く。古来からの塊村と奥に見える幹線道路とが交わっている。免田を越えたら、能登国羽咋郡である。加賀と能登との境目を越えると、いよいよ山村ばかりが目に付くようになった。

田畑の風景
かつ丼

 宝達志水町の敷波で食事を摂る。駅を出てすぐに吹雪にやられるも、そんなことも気にせず一目散に歩いていく。国道に入ると、車が大型車も含めてたくさん通過していった。雪がついたが、落として店内に入り、かつ丼を食らう。寒暖の対比があるがゆえに、より一層暖かくておいしく感じられた。油がたっぷりと乗っていた。

 次の羽咋はUFOで町おこしをしている。この街では、古文書にあったUFOのようなものに気づいた住民が町おこしに使おうとして以来、どんどんとそのネタが膨らんでいき、とうとう直接「100年間UFOを貸してくれ」と米ロに頼み込むことで、本当にそれを叶えてしまった実績をもつ。それらの宇宙船はいまや「コスモアイル」にて展示され、観光客をひきつけている。北隣の志賀町との境界の交錯にも惹かれるものがあるし、何よりも千里浜ドライブウェイが一番の目玉だ。

 羽咋を発ち、北に向かう。西にも東にも山に沿って集落が並ぶ。駅に近いところではほかの所よりも若干ではあるが開発が進んでいる。それでも、先ほどまで見えていた高速道路は消えてしまった。この道路はこの先志賀町へと向かいつつも、また徳田大津から並行してくる。

七尾の街並み
七尾まだらの碑

 中能登町を通りつつ、七尾に到着。かつて石川県と富山県でみられた婚姻の風習として新婦によりくぐられてきた「花嫁のれん」で知られ、同名の観光列車が訪問者を誘う。市街を流れる川に沿って湾のほうに向かっていくと、並木の植えられており落ち着いた雰囲気の街が広がっていく。

のと鉄道

 七尾からはのと鉄道に社名を変える。電車から汽車に車両も変わるし、特急が一応は走っていたのもなくなる。なによりも、和倉温泉までの一駅の区間を除いては乗客がほとんどいない。街中を走るのもそこまでだ。田鶴浜あたりではもう市街は途切れ、田畑が広がる。のんびりとしている。

 しかし、七尾湾が美しく映えている。春には桜並木、夏には燦然とした太陽。ありのままの自然が、そこにはある。1両編成の車内にたった数名、それを眺める者がいる。

 能登中島では郵便車が見える。春には桜とのコントラストだって美しい。冬場であったため、樹木だけが残った姿だって凛々しい。

能登中島駅
穴水駅
穴水駅にて

 穴水に到着。能登半島の付け根にある小さな漁村であるが、駅前には人がまばらである。ただ、道の駅にはこの鉄道のグッズも含め特産物が売られていたし、力士の資料館までもある。

 かつてはこの先に輪島・珠洲にも鉄路が伸びていたが、高速道路(のと里山海道)の延伸とともにシェアを奪われ廃止されてしまった。この旅の起点の金沢駅から高速バスを使ったほうが合理的であるとともに、マイカー利用が一般化しているがゆえ、路線バスですら壊滅というありさまなのである。

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