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適応障害になって何が変わったか(良いこと編)

今日は温泉の休憩室から文字起こし。
今年の1月のに適応障害を発症し、3月半ばに職場復帰したはる坊です。

無事復帰はできましたが、以前と変わらず同じような対応をしてくる上司や課長がしんどすぎて、再発しそうでしたが、なんとか乗り切り、この4月からは部署も変えてもらうことができ、新しいスタートをきった今日この頃です。
今の部署の方が圧倒的に仕事量も多いですが、人間関係が良好なだけでここまで精神的ストレスが違うのかと感じています。
大概の社会人が日々仕事に行きたくないなぁと感じているものだと思いますが、去年の仕事に行きたくなさの度合いは僕の中で群を抜いていたんだなと今になって思います。もう細胞レベルで。今は身体を動かなくさせるほどのあの嫌な感じが襲ってこなくてなんかありがたい。
とはいっても、春はバタバタしてて、業務も多くてついつい無理しがちになりそうな時期なのでぼちぼち行きたいと思います。

今回はタイトルのとおり、前回に引き続き適応障害になって良かったことをを綴ってみようと思うんですが、割とたくさん出てきたので2回の投稿に分けます。ではさっそく。

1つ目「具体性のない無理をすることがダメだと分かったこと」です。

よく職場の人から、「無理するなよ」、「頑張りすぎるなよ」と言われていました。正直、自分の中で、無理をしていたり、特別頑張っているつもりもなかったんですが、年明けに突然体調に異変が出始めました。
いざ、体調を崩してみて、とある本に出会い、この正体が明らかになったんです。

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著者の防衛大学校出身で元自衛隊幹部生のぱやぱやさんは世間で言われるところの「エリート」。そんなぱやぱやさんが体力・精神ともに秀でた隊員でもメンタルを病んでしまう瞬間をたくさん見てきたらしい。
「弱い自分を見せたくない」「情けないやつと思われたくない」と思い、合わない人間関係や過度のストレス下で無理しつつづけた人がメンタル不調で倒れたそうだ。
こういった気持ちは、目標が抽象的でゴールが見えないので、無理を重ねてしまいがちになる。
自身もそうだった。どこか自分の中で愚痴を言うのはダサいなと思いたし、こんな狭い職場の人間関係だから愚痴を言っていたと言いふらされるんじゃないかなと感じて、相談もあまりしなかった。結果的に自分で辛さを抱えて反芻する時間が増え、病んでしまった。

体力・頭脳・精神力全てにおいて秀でてるであろう自衛隊員が病んでしまう。この事実にとても説得力があった。
誰でも、適応できない環境というのが必ず存在するのだと。


2つ目「誰かと一緒に過ごす時間が自分には必要なことが分かったこと」です。

自分でいうのもあれですが、僕は昔から友達が少ないです。人と距離を縮めるのが昔から苦手で、変に気を使っちゃって、少し仲良くなることはあっても、本当に中の良い人があまりできなくて。なので休日もほとんど一人行動なので、家族以外と過ごす時間があまりにも少なくて、一人で全てが完結してしまう休日が常態化していました。
そんな中で家族と過ごす時間やサウナを通してたくさんの人と話す中で、
「人間一人じゃ生きていけない」って心から実感しました。
自分みたいに反芻思考になりがちな自分はやはり誰かと話したりすることで自身が感じていることや不満に思っていることを共有して、気を紛らわしたり、笑ったり。そうやって感情をコントロールしていくのだなと。

振り返ってみると、ストレス下の職場から帰宅しても一人暮らしだから、帰ってもそこには誰もいなくて。筋トレして飯をしっかり食べても気持ちはどこか落ち着いていなかったのかもしれない。それでは終わらず、休日は基本的に一人で何かしている時間が圧倒的に多かった。そりゃ反芻する時間も多くなるし、気持ちはリフレッシュできないのかなと。
それもあって、最近は週末に1日は誰かと一緒にいる時間を作るようにしている。家族といるか、友人を遊びに誘ってみたり、人とコミュニケーションが取れるサウナに行ってみたり、職場の人をサウナに誘ってみたりと、少し努力はしている。
とはいっても少しは自分の時間も欲しいので、少しずつ誰かと時間を増やしていくスタンスでいきたいと思います。

今日はここまで。




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