よりみち読書会03『女たちのサバイバル作戦』感想
中学校の技術家庭科の時間、男子はパソコンで女子は裁縫だった。
当時から何かおかしいと思っていたが、その違和感を言語化できるほどの知識がなかった。高校の時、家庭科の時間は男女共学になったし、名簿も男女混合になった。
その背景には「男女共同参画社会基本法」の成立があったわけだが、その当時もそんなことは知らなかった。
様々な世の中の「(女性差別的な)しくみ」には「政治的な」理由がある。少子化なのに待機児童が減らない理由。女性の賃金が男性よりも低い理由。女性の管理職が増えない理由。
どれもこれも、実は政策的にそのようになるべくしてなっているのである――そんな身も蓋もない事実を解き明かすのが、この『女たちのサバイバル作戦』だ。
ネオリベの嵐が吹き荒れ始めた時に、なぜか男女共同参画社会基本法が成立したことは(すぐにバックラッシュが来たけれども)確かに不思議だった。
しかし、この本を読んでそれが当然の帰結だということが分かった。そして「男女平等社会基本法」ではなく、「男女共同参画社会基本法」という謎の言葉が使われている理由も。
何も「女性保護」とも「女性有利」とも言っているわけでなくて、「男女平等」と言っているだけなのに、その「平等」すらも許せないという日本のおやじたちの偏狭さがすべてを物語っている。まさにヘルジャパン!!
そして、以前、新聞のコラム欄にも愚痴ったけれど、最低賃金が安すぎる件についての疑問。最低賃金で一か月フルに働いても、税金を引かれると生活保護レベルの賃金にしかならないのである。なぜか。
そこには「扶養」という、会社勤めの人に養ってもらえば食い扶持に困らない制度が前提として存在しているからである。
だから扶養に入れないシングルマザーが貧困にあえぐのは必然であるし、フリーランスのパートナーを持つ妻も辛い。
専業主婦の存在を否定したくないから言っちゃいけないことだと思っていたけれど、上野千鶴子も「配偶者控除廃止」って言っていることにホッとした。
「社会保障を世帯単位から個人単位に変えて」というのもまさにそう。無職になったときに、市役所の国民健康保険課の窓口で「世帯単位でみるので、あなたが無収入でも減免されません」と言われたことを思い出した。
要は女性の様々な苦労は、自己責任ではないということ。努力が足りないからではないし、能力がないからでもない。
単にしくみがおかしいわけなので、(ある意味、自分で努力するより難しいかもしれないけど)世の中のしくみを変えていかなければならない。
もちろん、この本の最終章にあるように「持ち寄り家計」的な仕組みで自己防衛するのも大事。
このヘルジャパンを生き延びるには、世の中のしくみを知ったうえで、ネオリベの奴らが持ち込んでくる過剰な自己責任論に乗らないことが必要なのだ。