よりみち通信14 ブック・カウンセリング「アート」―アートとそうでないものを分けるもの―

少し前にNHKで放送していた「no art, no life」という5分番組。

そこに映し出されていた「何かを作るのをやめられない人々」の姿に引き付けられ、夢中になれるものを持つ彼ら/彼女らをうらやましく思う自分がいました。


評価の有無にかかわらず、どうしてあんなに熱中できるのか。それを知りたくて手に取ったのが、椹木野衣『アウトサイダー・アート入門』(幻冬舎新書)。

古今東西のアウトサイダー・アーティストたちを紹介し「アウトサイダー」という言葉の意味を問い直します。

日本では障害者アートの文脈で「純真な」「生(き)の」といった捉え方をされやすい言葉ですが、元々「はぐれもの」「異なった」というマイナスの意味も含んだものなのです。

この本で紹介される人々も、新興宗教の教祖や犯罪歴のある人など様々。教科書には決して載らないような人の作りだしたものであっても、やはりそれはアートであることにかわりない。

「アート/そうでないもの」を決めるのは他でもない自分なのであり、その判断を他の誰かにゆだねた瞬間「私」とアートの断絶が始まるのです。


そしてもう一冊。たまたま手に取った檀原照和『白い孤影 ヨコハマメリー』(筑摩文庫)。戦後から横浜の街角にたたずむ白いドレスを着た白塗りの老婦人。

人々は彼女のことを「ヨコハマメリー」と呼びますが、正体を誰も知りません。

謎は謎のままであるほうが良いのではないかと思いつつ、彼女の生い立ちを探る中で著者はある一つの仮説をたてます ―彼女の存在は「アウトサイダー・アートといえるのではないか」―と。

人はある物事を見るとき、どうしても自分の文脈抜きには捉えることができないもの。

でもそこに「アート」という物差しができることによって世界がより豊かになるのであれば、積極的にアートという言葉を取り入れていくのも悪くないかもしれません。
(小笠原千秋)

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