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しんどいんだって、言ってもいいですか


みんな、この消化しきれない息苦しさを、どう処理しているのだろう。


緊急事態宣言があけて耐えられなくなったわたしは、以前も一人ゆっくり過ごしたことのある由比ヶ浜へ行くことにした。

朝起きてまず海辺を歩き、神社やカフェを思う存分巡り、気の済むまで写真を撮って、暗くなる前に宿の近くまで戻り、しばらく海を眺めてから帰る。
平日だったこともありほぼ人に合わない時間を過ごして、騒がしく落ち着かない世の中とはかけ離れた空間に身を置けたような気がした。

そしてとにかく海はいい。圧倒的な存在感、まさしく畏怖というべきか。
梅雨の真っ只中で全くもって穏やかではない海は、荒々しくもわたしの心の重しを少しずつ押し流してくれるようだった。


帰りの電車、無理やり日常に引き戻される。耳から、目から入ってくる、身体中で感じてしまう情報量に、めまいがして気持ち悪くなってしまった。
静かでゆったりした時間を経てまっさらになったわたしには、多少刺激が強かったようだ。

もしかしたらこれが、普段気づいたら積もり積もって時にわたしを苦しめるものの正体なのかもしれない、とふと思う。


数週間経ち、またいやなもやもやが溜まってきていると感じる。胸から胃のあたりにかけて、重苦しく締め付けられるようだ。

苦しむ人の声は無視され、行くべき場所にお金は届かない、優先順位はおかしいし、人の命は脆く儚い。

どこにもぶつけられない思いは、長い梅雨の雨のようにしとしとと静かに、でも確実にわたしの心の器を満たしていく。


知らない土地に足を運び、大自然に圧倒され、深呼吸をすれば浄化されるような場所で過ごすことでリセットできるわたしにとって、外出が憚られる現状自体も容易に受け入れられるものではない。

もやもやは溢れんばかりまで溜まっていく。そのスピードは目に見えて早くなっているし、心と生活の整え方をまだまだ模索していかなくてはいけないようだ。
体も心も健やかに生きていくって、本当に難しいな。

そろそろ太陽が恋しい。



2020.7.18