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【週刊フォルケ滞在記】:)3rd week

ホイスコーレ生活3週目!もうそろそろ1ヶ月経つのかってびっくりしてる。

デンマークでの生活も慣れてきたんだけど、実は頭の中は全くデンマークじゃない。
何か面白いこととかDanishなことがあっても、日本と繋げて考えちゃう。

これ日本に持ち帰れそうとか、日本でこれやっても上手くいかないだろうなとか、そんなことばっかり考えてるから、日本にいる時と思考回路は変わってないんだよね。

てことで3週目。


プロナウンス間違えた

お互いのプロナウンスを確認しあった。
英語では”she is…”みたいに、主語にsheっていう代名詞を置くんだけど(代名詞とか勉強してないから合ってるか分かんない)相手のジェンダーを確認しないと、見た目や主観で間違ったジェンダーを当てはめてしまうから、自己紹介の時に一緒にプロナウンスを確認することはよくある。

けど、間違えちゃった。その子はthey/themって使って欲しいって言ってたんだけど、全然出てこなかったーー。
必死に英語を紡いでるから、そこまで気を配る頭の余裕が足りなかった。

その子は気にしないでいいよって言ってくれたけど、なんだか嫌なので代名詞じゃなくて名前を使うことにした。”she said…”じゃなくて”Tara said…”みたいに。

学校でクィア系の演劇の公演があった

クィアの男性が1人で芝居をする演劇の公演があった。
内容はデンマーク語だったから全くわからなかったけど、公演の前に配られたチラシに、ホモフォビアやバイオレンスなどに関する内容が含まれまるから気をつけてね〜って書いてあったから、多分そういう内容。

学校の生徒だけじゃなくて、近所に住むおじいちゃんおばあちゃんとか子どもも観にきてたけど、クィアの男性が主人公で、ホモフォビアが、セックスが、、とか分かるのかな?小さい子が見て大丈夫なのかな?と思ったけど、心配なさそうだった。性教育しっかりしてるよねほんと。

極寒のデンマークでサバイバルキャンプ

アウトドアのクラスで、週末に2泊3日のキャンプに行った。
なんだか色々あったけど、ちょっと文章にするのはめんどくさいから、インスタのリールにした動画でも見て笑
非公開のアカウントだけど、フォローしてくれたら承認するので。

https://www.instagram.com/p/C2yHBESI3RIbQFbVRMoGXY7ihxcXYjSxPjQ9x80/?hl=ja

デンマーク人って素直なんだよなあ

デンマーク人たちって、ほんと素直なんだよね。
めちゃでか主語で失礼しますって感じなんだけど、ほんとに例外なく素直に生きてるなと思う。

素直っていうのは、例えば自分をありのままに表現することを厭わないところとか、嫌なことは嫌って言ったりする性格的なところもそう。

あと、ホイスコーレの授業では振り返りを絶え間なくする。
アウトドアのクラスだったら、何を学んだか?何を感じたか?何を経験したか?グループが一番うまく行った時はどんな時だったか?グループとして何を学んだか?、、みたいな質問をキャンプ行った後にみんなで振り返った。

そういう時に、みんな「普通」に自分の気持ちを言うんだよね。

なんていうのかな。。。「良いことを言おう」とか「これ言ったらどう思われるかな?」みたいな気持ちが全く感じられないっていうか。

だめだ全然言語化できない。また今度。

「反抗」以外の選択肢を持ってる

あと、アウトドアのクラスで行ったキャンプは、5人グループくらいに分かれて、各グループに2人のネイチャーガイドが付いてた。

それは良いんだけど、キャンプが終わった後にガイドの人たちから「このキャンプの感想ある?」って聞かれた。
そしたら数人の生徒から「ガイドはとても良かったけど、たまに親子の関係と感じるほど、ケアしすぎだと思った。僕たちは子どもじゃないし、失敗する前に正解を示されるなら失敗する方がいい」って意見が出たんよね。

実は前日に、ガイドの人のケアがtoo muchだよねって話はしてたんだけど「ああ、それ言えるんだ」って思った。僕絶対言えないわ。「色々と気にかけてくれてありがとうございました」とか言いそう。

このことがあってから、デンマーク人の「社会の変え方」を考えるようになった。

他の日に、アウトドアクラスのメンバーでミーティングをした。"cute meeting"って名前で集まったんだけど、内容は「授業内容に講義が多すぎる」っていう別にキュートじゃないミーティングだった。

実際、アウトドアのクラスなのに、話を聞く系の授業が4週続く期間があったりとか瞑想系の授業も多かったり、普通に焚き火したくね??みたいな意見があった。それをアウトドアの先生に言う時に「どうやって伝えるか」を話し合った。ダニ(先生)はどう思うか?とか、ダニへの批判ではないことを伝えようとか、当たり前なんだけど、先生じゃなくて、一人の「人」として対話しようとしてた。

なんか、日本の子どもたち(また主語でかい)だと「反抗」することで意思表示する方向になる気がするんだよね。授業に能動的に参加しないとか、真面目にやらないとか。前に高校に出張授業に行った時に感じた「真面目に参加するのが恥ずかしい」みたいな雰囲気も、一種の反抗な気がしてる。校則が厳しいからグレてみたり、授業がつまんないからサボってみたり。学校だけじゃなくて親との関係でも、社会に対しても。

なんか「反抗」も一つのプロテストの方法だとは思うんだけど、そこに対話するって選択肢がないのはなんでなんだろう?と思った時に、権力関係が強いことがあると思ったんだよね。先生・親に意見する=歯向かう、みたいな価値観が強くあるんだろうなと。

デンマークでは子どもと大人が対等な関係性を意図的に作ってる。子どもを一人の人として接するから、子どもも大人を一人の人として接するようになる印象がある。きのくにの子が、大人を尊敬できる友達みたいって思う感覚と似てるんだろうな。
友達に何か意見がある時に、反抗するって手段取らなくない?

てか敬語がないのも大きいんじゃないかなあ。(また言ってる笑)
けどまじで、小さい子にも先生にも政治家にも同じ言語で話すのって、心理的にかなり対等性があると思わない?

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