はじめまして

沖田晴彦と申します。予備校、塾講師をして30年近くになります。
受験対策の国語に関する情報に限らず、文学作品に関する解説や論評、
その他読書案内など、研究する学生や、先生方の役立つような情報をお届けできたらいいなぁと思っております。
Educational Lounge でも少々作品論や文学論史を掲載していただいています。興味がある方は是非お読みください。

http://educational-lounge.com/

コロナ禍に思うこと

『コロナ禍』に関して少々哲学的に論じてみたいと考えます。そもそも21世紀はグローバリズムの時代です。高度情報社会の中で世界経済が、文字通り世界規模で取引され、24時間どこかの市場が売買されてる時代です。また、世界規模で人々が移動して交流しています。そんな時代の中で突如「パンデミック」が起こり世界中がパニック状態になりました。何が最も衝撃的だったかは、感染者の拡大のスピードと犠牲になる方の圧倒的な多さです。特にヨーロッパでの感染拡大の速さと規模には度肝を抜かれました。

パンデミック

ここから私は、20世紀的な価値観のままで進んできた「グローバリズム」が一大転換点に差し掛かっていたのを、今回の「コロナ禍」で決定的な端緒が外的に出現したのだと考えています。今回の「感染抑止」のための「接触忌避」が、強引に誘導したのは、「対人間」「対身体」的な親和性を高度情報社会化が進む昨今でも、好意的に価値づけし、むしろ「脱近代」の指標としてきた思想界への痛烈なアンチテーゼとなったと考えます。もはや三次元的世界観を前提にした「人間関係」「国際関係」の構築という幻想は唾棄され、二次元世界の映像画像によるデジタルな人間関係と、VRを通じた疑似現実感が、三次元的な「実存性」「実在性」を駆逐していくだろうと考えています。

コロナ後の世界像の予測

「コロナ禍」を経験した現代同時代の人類は、三次元的な接触を前提にした人間関係の復活を、「コロナ以前」のように何らストレスなく行うことはできなくなってしまったと考えるべきです。この強烈なトラウマが、今21世紀の新しい価値観、人間関係観、国際関係観をそのまま強烈に求めていくだろうと予想されます。そうなると、「自粛期間」のみの外出規制が、むしろ日常生活の基本的な在り方として定着してしまうと、これまでの消費生活や、産業構造、流通構造までもが大変革していくでしょう。極力人を介することのない消費や流通が実行され、在宅のテレワークが自明化します。すると、高層マンション一棟ごと企業が買い取り、在宅のテレワークをしつつ日常生活も続ける社員が増加し、街並みや商店街は存在意義がなくなり、マンションと大きな公園だけが存在する室内中心型都市が増加していくかもしれません。すると、上空には個人契約したドローンが今の自動車の渋滞のように渋滞し、ドローン空中交通法が出来ているでしょう。ここまでくると三文映画的な話題になってしまいますが、少なくとも、現在の「非常事態」から、
「非」がとれて、「(日)常事態」と成ってしまう懸念が拭えません。この空想的な世界が万一近づいているとしたら、我々は、いかなる備えをしていくべきでしょうか。『脱人間関係時代』を考察し、正しく概念化していきたいと思います。
皆さんもご意見がありましたら、忌憚なく、ご連絡ください。お待ちしております。
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