【人間の本質はさほど変わらない】

こうして書くとたいそうなタイトルやなと思うけれどほんとにそうだと思っている

以前にも書いたことがあるうちの息子たちは、発達障害がある、二人ともなのでダブルヒットですな

次男はなんとか【んもーこの子要領悪いなー】という感じで世間に紛れている←紛れてるのか?

長男はそこそこしっかり支援を要するお人なので、周囲の方々の暖かい支援を有り難く受けてすくすく育っております

私は一人目子育てで右も左も分からず、長男のゆるゆる育っていく感じに多少の不安を持ちながらも、まぁこんなもんか、個人差あるやろ、とか思うおおらか〜なお母さん



…ではありませんでした笑


え!なに!この子全然目合わへんやん!笑ってるように見えるけどそれ元々そんな顔なだけやん!!
なにそれあたしずーっとスベってるやん!リアクション無しかよ!えーおかしいおかしい、絶対おもろいのに!!


て、思ってました

そして調べれば調べるほど自閉症ってゆーやつに当てはまる我が息子

マジかーマジかー様子見ましょうって書いてあるやーん、様子見てなんとかなるんかいなこれー、このまま喋らんかったらヤバない?この子学校でトイレ行きたい時どーすんの?迷子になったらどーすんの?喋れたほうが得じゃない?

ということでとりあえず病院に行ってみることにしました

どうやら障がい告知?というのは、3歳未満ではされないらしく、子どもの、じゃなくてお母さんのメンタルケアみたいなカウンセリングばっかりなんですな

いや、まぁありがたいんですけどね
個性だから受け入れましょう、みたいな笑

そんなこたぁ分かってる、ひとりひとりで生まれてきてんのやから、それはもうその時点で個性なのよ、今更何言ってんのって話です
そんな話じゃなくて具体的なやつください、具体的なやつ

何も喋ることができずにこいつが教室でうんこ漏らしたらどーすんのよ、めさめさ気まずいんやで
↑こんな言い方はしてませんけどね

それでも医者ははっきりとは言わず、療育園に通って絵カードを使えるように勉強したほうがいいかもしれません、と

将来意味のある言葉を持たないかもしれませんし、と

ガーーーーンとなるところなのかもしれないし、まぁガーーーーンなんですけどどちらかというと、ほら見ろそーやんけ!様子見たってあかんのやろがい!!と言いそうになるのをぐっとこらえて一瞬泣きそうになったのも旦那の「泣くな、失礼や、長男に」の言葉でぐっとこらえてその日は帰りました

だって不安は情報で埋めてきたんだもの、大体そうやろなってあたりはつけて受診してるのだから
気休めとか慰めはそないに知らんあなたにしていただかなくても共に育てる旦那にしてもらうからいいの
医者は素人にない知識を授けてくれないと困るんです


そんな中唯一出てきたそれらしい情報が絵カード

絵カードかぁ
絵カードねぇ

それってさぁ

誰かに持っていって見せないといけないわけでしょ?
まず「誰か」に「持って」いかないと効力を発揮しないし、持っていった先の「誰か」がそれの絵カードを理解してくれる人である必要があるんでしょ?


…じゃあ、口で伝えたほうが早くね?←単純

トイレの絵カード持って理解してくれる誰かを探してる間に漏らしたらどうしてくれんねん、そして息子は人間を景色の一環としてしか捉えてないのだぞ?人に助けを求めるってそんなスキルねーよ笑
※例えがトイレばっかりになってるけど、例えば、だから笑


そして色々調べてるうちに3歳未満でも発達検査して診断して必要であれば投薬してくれて、具体的な療育方法も教えてくれるという病院があったのでそこに行ってみることにしました、様子見ろよりよっぽどマシだわ

「広汎性発達障害やねー、ま、療育していくといいんじゃない?ABAってゆー応用行動分析を使った療育」

はぁはぁ、へーへー、なにそれ分からん

直接その医者が指導してるのではなく、そのABAを用いた療育をやってる勉強会があるとのことで、そこにお邪魔してみることにしました

ここまで書いてて思ったけどこれめちゃくちゃ長くなるな

よし、端折ろう

なんしかABAは応用行動分析学を使った療育法で、発達障害児の療育としては当時まだまだ主流ではなく、なんやったら反対派もあるような療育法だったんです

ここで出てくる、人間の本質は変わらない、という部分

基本的にはエラーレス、スモールステップが大前提なので子どもが嫌がることがないのが魅力的なのですが、主流の療育と大きく違うのはご褒美があること

正解の行動を取った場合にその行動を強化すべくご褒美を与えるんです

例えば、動作を模倣させる課題があって、
「こうして」(右手をあげる動作)と指示を出して
息子が右手をあげて正解の行動をしたら、「良く出来たね!」「えらーい!」「天才やん!!」などの褒め言葉と共に息子の大好きなお菓子をちょびっとお口にほりこむ

餌付けみたいでしょ?笑
これに抵抗ある人は絶対に出来ないと思う笑

でも息子の【大好き】なことであればご褒美になりうるわけで、当時の息子はくすぐられるのが好きだったこともあり、正解するとくすぐる、というのも使ってました

お菓子は駄目でもこちらは抵抗ない人が増えるんですよね


実におかしな話です、息子にとってはどちらにせよご褒美なんですけどねぇ


ご褒美はご褒美でないといけないんです、しかも本人が褒められた、いいことをした、と分からないと意味がないんです

訳のわからん作業させられたあとに、はいご褒美ですよ、て欲しくもないもん渡されたら嬉しいですか?てことですね

もしくはめっさ頑張って働いたあとのボーナスがまさかの芋けんぴ支給やったらどうします?働けます?芋けんぴはおいしいけどそこはお金にしてほしいですよね←


言葉が理解できない子どもに褒め言葉だけ与えてもなーんにもつたわりません

これをしたらいいことがある、この人といるといいことがある、という経験と共に褒められていることが分かってくるんです

ご褒美の強弱もつけるし、褒め言葉は絶対に欠かさない
これをやっているうちに、最終的には褒め言葉だけでも出来るようになるし、褒められなくても「自分が出来たいからやる」ようになるし、「出来たこと」自体が本人の満足に変わるんです、自己達成の実現ってゆーやつですね

ものすごーーーーく時間かかるけど、将来のことを思えば逆に近道だと思う

エラーレス、スモールステップで教えるのが基本だから、まず成功体験から始まるんですね

先ほどの右手をあげる動作を「こうして」という指示でさせるのも、指示を出したあとすぐに子どもの右手を持ってあげさせるので、間違うことがない

あとはちょっとずつお手伝いを減らして、「こうして」という指示だけで右手があげれるだろう、と思ったらそこで初めてトライさせてみる

あげれるかな、どうかな、のところではトライはさせない
でもまぁ上げれるだろうと思っても、あっやべーこれ無反応になるかも!と思ったら即座に右肘のところクイッて押して正解させます

「やるやーん!すごいね!」とか褒めながら内心やばいやばいエラーさせるとこやった、て焦ってるんですけどね

そういう単純な動作模倣から始めて、簡単な指示を出してみたり、色んなことを長男とはやりました

デスクばかりだと飽きるし嫌になったら元も子もないので、遊びの中で言葉を教えるというのもやりました

要求が高まると人間は要求しますよね

砂漠にいて遭難したとしましょう←え?

「み…水…」

言いますよね←え?

でもまぁ水は出てこないんですけど、誰もいなかったら笑

例えは非常に悪いけどそういうことなんです、要求するって

人間だれにでもあるんです、要求は

そこを使って教えます

ジャムの空き瓶でもペットボトルでもタッパーでも、息子が一人で開けれない、でも中身は見える容器の中に、息子がめちゃくちゃ好きなアンパンマンの指人形を入れて息子に渡します

息子はめちゃくちゃアンパンマンが大好きなので、なんとかして開けようとしますがもちろん開けれません、息子のスキルでは開けられない容器を使ってるから

当然息子は私に向かってその容器をグイグイ押し付けてきます

その時の息子の気持ちは「アンパンマンの指人形を出してほしい」、そして最大限に高まった要求を私にグイグイ押し付けているのでそこで


「開けて」


と【わたしが】言います、動作模倣のときと同じくお手伝いをしている状態です

その時にもし息子が開けて、と言えなくても、「開けて」を聞かせることが大事なので、ちゃんと開けて容器ごと渡します

これで最初はおっけー

そして早く教えたかったとしても、せっかく手に入れたご褒美を取り上げてまた開けられない容器にしまうなんてことはしません、ただの意地悪だから

同じような場面をまた作るんです、「開けて」と言いたくなる場面

何回も何回も場面を作って十分に聞かせてから、オウム返しをさせます

実はオウム返しが得意な子は数回でオウム返しを成功させてくる子もいます、要求が強ければ強いほど早いのかもしれない

そしてそのうち「開けて」「開け」「あ」くらいのヒントを出せば「開けて!!」が言えるようになる

で、またトライさせる

出来たら、容器を何パターンも用意して「開けて」欲しい時に「開けて」が適切に出るかどうか、を試していきます

もちろん遊びの中で

最初は覚えたての「開けて」をなんでもかんでも乱用するという恐ろしい事態になってましたが、場面を設定して要求と一致するようにして教えていくので、教える方も息子もちょっとずつ上達していくんですね

場面設定をミスると、当然のように↑みたいなことが起こるので場面設定はすごく大事です
そして息子の要求を高めることもすごく大事だし、何よりその息子の要求が高めやすいものが何なのか、日頃から息子を観察することがすごくすごく重要です

全てのヒントを持ってるのが息子なのです
おもちゃとは限らない息子の好きなものをまずどれだけ知ってるかで教えられる要求言語は随分変わってくるから

そしてそれを見つけたらその物を構成してる要素がなんなのか見つけてそこからまた広げて息子の「好き」を増やす
自閉度最重度の感覚ぶっとんだ息子の好きなもの探しは非常に難航しましたがそれはそれで面白かったです

ちなみに比較的要求言語は教えやすいと思います
日本人の好きな礼儀的な挨拶とかは教えにくいです、本人にメリットないから笑
要求言語がそこそこ出揃うとその頃には意識が人に向かってるので挨拶とかはそうなってからの方が教えやすい気がする

いただきます、ごちそうさま、は実は一人のときは大人もゆーてない人が大半ちゃうかなぁ
「誰か」と食べる時は言うけど
なので「人と過ごす」ことに慣れてからでいいや、と思って無理矢理儀式的な挨拶は教えませんでした

なんせ人間を景色としてしか見れてなかったからねぇ

あと指し言葉は教えてません、あれこれそれ、あっちこっちそっちとか
名詞教える機会が減るから使いませんでした
距離も明確に教えられないしね

なので息子は自分が持ってる語彙を駆使して使ってました、ビーフジャーキーのことをお肉クッキーと言うた時は天才かと思った笑
※そこであぁこれね、と言わず「ビーフジャーキー」を教えるんですが、本気でお肉クッキー採用してあげたかった


そして息子も人間なのだから息子なりに成長していくわけです

それを促すことの何がダメなのでしょうか、様子を見るってなんなんでしょうか、私にはさっぱり分かりません

障害がある子どもは何もしなくていいとでも言うのだろうか、一生誰かが息子の要求を飲み続けてくれるの?

開けて、と言えることも大事だし、自分で開けるスキルも大事、開け方を聞くのも大事

そして開けられない人を見て、開けてあげようと思う気持ちも大事

自然発生的に習得していける健常者には想像できないかもしれないけれど笑

いいじゃん、足りないものを足すだけでしょ

持てないものを無理に持てとは言ってない

持っておいたほうがのちのち役に立つであろうスキルを、持てそうなものから、持ちたくなる気持ちを育てて、持てるように仕向ける、それが療育だと思う

障害があるのに無理させるのは可哀想だと私を批難する人もいました

遊びの中から言葉やスキルを教えることのなにがかわいそうなのかしら笑

残念ながらあほほど息子と遊んだ、だけですけどね

私は息子のなんでもやってくれる便利な道具になんてなりたくなかったしね笑



なんにしても人の真似をする、というのは非常に大事なことで、まずその人を見ることが出来ないと真似すら出来ないんです

教室で教科書の何ページを開けばいいか聞き逃した時、隣の子の開いてる教科書のページをちらっと見るでしょ

体育で一瞬ボサッとしてた時に慌てて周りの体操に動きを合わせたことあるでしょ

学校の場だけじゃありません、初めて出たお葬式でお焼香のやり方、周りの人のやつめっちゃ見たでしょ

人の真似は自分の身を助けることが往々にしてあるんです、それは大人になっても笑

悲しいかなわたしは息子にとってただの景色のうちのひとつだったのですが笑
療育を通じて「こいつのマネしてたらなんかいいことがあるぞ」と認識したようで、療育用に作っていた部屋に喜んで行くようになり、私の手を引っ張るようになりました
いわゆるクレーンとは違うやつです

まぁそれすらなかったんかい!と言われても仕方ないくらいなーんにも出来ない子ちゃん、だったんですけどね、後追いももちろんしませんでしたし

療育自体をお勉強、と呼んでいたので、どう考えても発達の遅れが見て取れる彼は幼稚園時代に、「好きな遊びはなんですか」と聞かれて「お勉強」と答えるなんともおかしな子に仕上がってました


なんしかそんな紆余曲折を経て、彼はかつて医者から言われた「意味のある言語を持たないかもしれない」宣告を裏切ったわけです

もしかしたらあのまま様子をみていたら、そうなってたかもしれないけどね、まともな発語もなかったし

絵カードを使うのが悪い、とは思ってません
その方がやりやすい人もいると思うから

ただ、私はそうしたくなかっただけ、それだけです

毎日毎日来る日も来る日も息子とお勉強してました

銀行とかクレジットカードのロゴマークとかが何故か好きやから、それを使ってなんとか男の子らしい戦いごっこが出来ないものかと、JCBのロゴをでっかくコピーして紙袋に貼って頭から被ってJCBマンになったこともあったなぁ

息子めちゃくちゃ喜んでたけどめちゃくちゃシュールやん…

「貸して」てゆーてそれを被って、とぉっ!!て椅子から飛び降りてくれた時、めちゃくちゃ笑って泣いたなぁ

楽天カードマンがもっと早く出てきてくれてれば、もしかしたらほんとにお友達とJCBマンとして戦えてたかもしれん←え


言葉だけじゃなく、こだわりも強く、ほんとに大変だった

どこの自閉症の本にも書いてあると思いますが、変化に弱いのが自閉症の特性みたいに書いてあります

変化と言われると何を想像するでしょうか

それは人によって違うと思います、それと同じように自閉症児にとっても人それぞれ違うのです

変化に弱いから環境を整えてあげましょう、という文章の曖昧さったらないですよね、広すぎて全く分からん笑

そしてそれを全て対策しようとしたとしても不可能に近い

なら、変化に慣れていただくしかない

散歩に行く道順が少しでも変わると号泣する息子

窓の開いてる量がいつも通りでないと慌てて閉めようとする息子

絵本の読み方がいつもと少し違うだけで号泣、お絵描きなんてわたしが色鉛筆を持つだけで「何が描かれるか分からない恐怖」から号泣

泣きやますにはなんで泣いているのかが分からないと無理なのですが、なんで泣いてるのかに気付くのは泣いてる息子をまず冷静に見て、泣く前と泣いた時の状況の変化を見つけなくてはならない

そして原因が分かったら、その原因を取り除いたほうが生きていきやすいのか、その原因を取り除かず慣れた方が生きていきやすいのかを判断して(息子の場合取り除かず慣れた方が生きていきやすいものが原因になっていたことがほとんどです)、泣く前と泣きやんだあと、で状況が変わっていないことを徹底しました

泣いたからといって、自分の好ましい状況に戻るわけではないということを学んでもらう機会として、「変化への耐性」を身に着けてもらいました

よく本にある「こだわりが強い」「変化に弱い」の2句は同じ内容を指していると捉えています

そしてこだわりをなくす、というのと、変化に耐性をつける、というのも同じことを指してると思います、やること一緒だからね笑


前述の、取り除いたほうが生きていきやすい原因なのか置いといてもいいのか、という判断についてですが、言い換えると、つぶしたほうがいいこだわりなのか、置いといてもいいこだわりなのか、ということです


例えば散歩への道順のこだわりはつぶしましたが、アンパンマンの指人形の並べ方のこだわりは放置しました

指人形は個人の趣味の範囲だし、自分一人で完成出来るし、自分で解決しはるから笑

道順へのこだわりは非常に問題で、息子はどこへ行くにも道を記憶し、気に入った道しか通りたがらない

そこも見極めが多少いるのですが、「道順」なのか「道」なのか、ルートを外れるのが嫌、にしてもそのルートになんの要素が含まれているのか、音なのか色なのか物なのか人なのか動物なのか時間帯なのか

一旦そのこだわりへの対処をどうするか考えている間は息子には協力してもらいます、号泣していただきましょう、ということで、笑顔で号泣する息子を連れて「号泣しないルート」を外して散歩に出かけるのです

そりゃ内心親としても号泣です

でも一生こいつは他の道を歩けないのか、その方が辛い、今はまだ泣いていても許される幼児だから、笑顔で連れて歩くしか方法がない

結局、ルートへのこだわりであって、色んなルートを試しているうちに、どのルートを通っても泣かなくなりました

そしてよく吠える犬がいる道に差し掛かると「わんわん…」と言ってその道を嫌だと態度で示せるようになりました

号泣だけじゃあなにも伝わらず、嫌なものを嫌だと示せるようになることが出来ました
もちろん、言葉できちんと気持ちを伝えられることはいいことなので、その日はその道を使いませんでしたが、結果的に犬を避け続けたルートしか使えないとなると息子が不便なので、交通ルールを守りつつ早足で過ぎ去る、というのをやりました
今も彼は使ってます、動物嫌いだから笑
※予測不能に対しての恐怖があるから動物NGなんですな

それもまた、スキルです

号泣し続けて相手に分からせるって、言い換えれば暴力に近いですからね、母親にしたらもう地獄なんですよ笑

そして大人になったらその方法は絶対に使えない笑

あそこの子どもめっちゃ泣くけどお母さんいつも笑って手繋いではるわー変なの、て近所の人には思われていたでしょう

そんなこたぁどうでもいい、わが息子の今後のほうがよっぽど大事だもの笑








きっとどこの子どもも育てるのは大変だと思います

だって、人を育てるんでしょ
大変に決まってる
自分ですらほんまにちゃんと育ったんかどうか分からんのに笑
ただただ年とっただけちゃうんか笑

現在息子は19歳
就労移行支援事業所にて毎日元気にお仕事しております
もちろん周りの皆さんの暖かいご支援とご指導のおかげです

「上履きの履き替えしてない時あるんですけど『ごめんなさーい(*´σー`)』てゆわれるとついつい甘やかしちゃうんですよねぇ…すみません、きちっと指導しますね!」

てな感じです、愛想だけはいいんです
あかんあかん、あかんで、しょーもないことと思ったとしても【ルールを守る】事自体が大事なんですよまったくもう


一瞬、将来を悲観した17年前の私に教えてあげたい、あなたの息子さん、ちゃんと周りの人に元気に挨拶してますよ
「トイレ行ってくる、待ってて〜」てあなたを待たせてますよ
お腹壊したら「ビオフェルミンちょうだい…」て言いに来ますよ
お友達と喧嘩して、ごめんねって手紙書いて渡してましたよ

そして将来を悲観したあと、膨大な時間をお勉強に使ってくれた過去の私にありがとうと伝えたい

周りから見たら正気の沙汰ではなかったでしょう、毎日毎日ビデオカメラ回してデータ取ってネタ作って息子と遊ぶ様は

そして息子に、ついでに次男にも、生まれてきてくれてありがとうと伝えたい

あなたたちのおかげで私は退屈することがありませんでした
怒ったり笑ったり泣いたり落ち込んだり浮かれたり非常に忙しい学びのある豊かな日々を暮らしました


ADHDの次男はというと「なんで俺をADHDにして産んだんや!!」と次男にキレられた時、咄嗟に
「知らんわい!お前があたしのお腹の中で掴んだ遺伝子のチョイスが悪かったんやろがい!!パパのかしこ(=賢い)の遺伝子掴んで出てこいや!!」て言ってしまった
売り言葉に買い言葉の典型的なやつです

「ほならちゃんと腹の中整理してこれパパのかしこの遺伝子やで〜これ持っていき〜て俺に話しかけとけや!!」て切り替えされた

「あぁ!ほんまやな、そないしたら良かったわ、ごめんごめん」
「ほんまやで、次から気ぃつけや!」
「はーい気をつけまーす」

で収まった
次からっていつやねん

次男のこういうバカさがかわいい、全然問題解決してへん

18歳というお年頃なのでイライラを私にぶつけてきますが、きっとそれも発達障害の有無に関わらず中学生〜高校生くらいの男子がいるご家庭では繰り広げられている光景なのでしょう

面白いよねー飽きないよねー


社会の荒波に出ていくのは誰にとってもあることだと思う

その【社会】は人によって違うけどね

でもあることだから、誰にでも

そんな誰にでもある毎日を、おもしろおかしく暮らせてるのは子どもらと旦那のおかげです

ありがたやありがたや←うっすいなー


今、渦中で思い悩んでる親御さんもいるかもしれません

何か力になれることがあれば、とは実は思ってません

私は療育の専門家でもないし、自分がしてきたことが全て正しかったとも思ってないからです

恵まれてる、とは思います
ほんとに周りの人に恵まれたと思います

ただ自信を持って言えるのは、私は息子のプロのおかんであるということ
もうかれこれ19年我が息子の母をやっているので、さすがに我が息子の母としてプロ意識が芽生えてきました

なので、そこは自信を持ってほしいな、と思います

あなたはあなたの子どもさんのプロの親です、あなた以上のプロは早々現れません

すごくないですか?プロですよ
すごいと思う!プロフェッショナル万歳

まぁ、それは人によるか…あんま響かんか…笑

まぁそもそも自分以外の別個体の人間の気持ちなんてわかりませんし、自分の気持ちすら分からんこともある

のは

大人も子どもも、発達障害の有無関係なく同じですよ、と

違うのは個性の部分だけ、人間の本質はさほど変わらないからね




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