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「誰かの人生の名脇役に」それだけを目指して走った4年間の日々


「いまね "いなフリ" ってのをやっていてね。よかったら、ちょっと中覗いてみる?」

2017年2月8日、時刻は16時をまわった頃。ここは千葉県の金谷という町らしい。東京湾に沈むオレンジ色の夕日を見ながら、そこで出会った人に "田舎フリーランス養成講座(いなフリ)" のことを教えてもらった。

その何気ない一言がその後の自分の人生に大きく関わっていくなんて当時は思ってもみなかったし、ましてやその4年後の2021年2月28日に自分が "いなフリの運営本部" から卒業することになるなんて。いまでもちょっと「これは夢なんじゃないか?」って思うぐらい・・・笑

あれから1週間たってようやく気持ちの整理ができてきたので、これまでお世話になった方々への感謝とこれからの決意、そして "微かな希望" だけを頼りに走り始めたあの頃の自分に向けて、このnoteを書き留めておくことにした。

ただの体験記、そして記録。有益なものは何一つないけれど、ちょっとした小説を読むような気持ちでお付き合いいただけたら。

仕事が好きな人と初めて出会った

2017年6月、梅雨なのに雨が降らず晴れ間が続くような日々だった。このとき自分は金谷9期の受講生としていなフリに参加するために、再度金谷を訪れていた。いま金谷では33期(※2021年3月現在)が行われているので、すでに古株もいいところ。

ここで出会ったのが自分のメンターである "のんちゃん" 。年は2つ下で自分よりも3期前の卒業生。そんな彼女との出会いの中で一番衝撃的だったのは、「こんなにも仕事のことを好きになれる人がいるんだ・・・!」ということ。というのも自分は、それまでの人生の中で "楽しみながら仕事をしている人" と一度も出会ったことがなかった。

たった1ヶ月間だったけれども「仕事って本来楽しいものだよ」って思えるようになったのは、このいなフリに来た一番の大きな収穫だったなって思う。この頃から「いなフリに関わってみたい」とは思っていたけれど、まずはフリーライターとして独り立ちすることが最優先。6月末に金谷を後にしてフリーランス生活がスタートした。

独立から8ヶ月、講師として初めて運営側に

「都留のいなフリ第1期で、ライターの講師をやらない?」
2018年2月、運営ののんちゃんから声かけをもらって講師をやることになった。このときが初めての運営側であり、同時に憧れだったのんちゃんと一緒に仕事ができたときでもあった。

講師として1ヶ月ともに仕事をしたからか、その直後からメール対応や請求書発行などを行う「運営事務スタッフ」として拾ってもらえることに・・・!そしてこの事務局でのお仕事は、自分が卒業するまでの3年間ずっと関わり続けることになる。

■余談:2020年まで自分がいなフリでやっていた「フリーランスのお金講座」は、実はこの都留1期から始まっている(全45回実施)。さすがに当時の資料は恥ずかしくて見返せない・・・・・・。

そのままPonnufの社員へ。役割は「受付嬢」

2018年4月以降は事務スタッフをやりながらも、メンター・講師、運営スタッフ、事前面談あたりを担当していた。同時にライターのキャリアでも悩んでいた時期でもあったため、「いなフリにもっと深く関わりたいな」と思うように。改めて代表・池ちゃんに相談したところ、フルタイム勤務の社員として雇ってもらえることになった・・・!(縁故採用ではなくちゃんと採用面接をしてもらった)

社員になってからは怒濤の日々で、現場統括・マネージャー・広告運用・メディアの編集・会社のバックオフィスなど、本当にたくさんの仕事を経験させてもらった。1年ぐらい経って、「事務局のマネージャー」「インサイドセールス」「バックオフィス」の3つのポジションを兼務する形で落ち着いた。

マネージャー業務が増えて現場と直接関わる時間は減ってしまったけれど、受講を迷っている人に向けていなフリの良さを伝えて現場につなぐ。いわば "いなフリ運営の受付嬢" 的な役割だった。

のんちゃんの退職。彼女が愛したいなフリを守るために

「6月末で退職することになりました。今まで慕ってくれてありがとう」

2019年5月、初夏にふさわしい晴れの日。突然彼女から1通のメッセが届いた。ここまで書いたとおり、自分がいなフリに関わることになった人物なので、退職の連絡は非常にショックだった。

正直自分も一緒に辞めようかと思ったときもあったけど、「辞めたところで何かが変わるわけじゃない」ってことで、悲しみがありながらも続投を決意。その決意を表明(?)するために、ちょうど同じタイミングで開催されてた金谷のいなフリでこう宣言した。

自分の乗っている車がマツダの "ロードスター" って言うんだけど、それのキャッチコピーが「守るために変えていく」ってやつなんです。
(中略)
実は、自分にとってとても大切な人が運営から離れることになりました。が、彼女がここまで作り上げてきたいなフリを"守る"ために、これまでの自分自身を"変えていこう"と思います。

これが終わった直後、後にも先にもこの1回だけ池ちゃんから握手をされた(笑) ただこの宣誓があったおかげか、割と心の整理ができた気がする。
散々お礼を伝えたけれど最後にもう一度だけ。のんちゃん、ありがとう。

惰性に生きた日々。自分の"やりたい"向き合えていなかった

澄み渡った青空が印象的な2019年12月、久しぶりに最終日の「事業計画発表」に同席していた。普段からこの事業計画発表はいつも輝かしいものなのだけれど、その日に限ってはなぜかやけに眩しくて。「なんでだろう・・・」って考えたときに、自分の中にあるモヤモヤが照らされていたような気がして。

その年はいなフリ関わって約2年ということもあって、仕事もある程度こなせるようになってきていたし、プライベートでは結婚もしていて文字通り「公私ともに順調」だと思っていた。ただ裏を返すと、それらはすべて "惰性である" ということにも気づいてしまった。

いなフリの仕事は確かに好きだし、自分でも "適職" だとは思う。でも自分が本当にやりたかったことって何だっけ・・・?って考えはじめるようになったのがこの頃。同じくして「いつかいなフリを離れることになるんだろうな」って次のステージを考えはじめたのも、この2019年末にかけてだった。

「ハリーさん、音響はどこにいったんですか・・・?」

自分の "やりたい" と向き合って約半年、答えとしてでてきたのはやっぱり "音響" だった。きっかけはAI会をしているときにパートナーから言われた、見出しの台詞。

音響のワードが唐突すぎると思うので(笑)、ちょっと解説を入れられたと。中3のときにPAの仕事を知ったところから、音の世界に興味を持つように。

その後の進路選択も「音響工学を学べるから」という理由で選んだはずだったのに、学力の問題や諸々の事情で結局音響は学べず・・・。
(※入った大学に音響の研究室があったが、入学した年の春に教授の定年退職により消失。その代わりとても学びのある教授に出会えたので、結果オーライなところもあるのだけど。)

そして大卒後のキャリアも、工場長・フリーライター・そしていなフリ運営や経理なので、音響の"お"の字も出てこない。結局ここ10年間、ずっと音響の世界に触れられてはいなかった。

自分にとっての核はきっと音響にあって、そしてこれと向き合わないまま30代を迎えてしまうと「きっと悔いが残るだろうな」って。なので2020年8月、来春でいなフリの仕事から離れることを池ちゃんに告げた。残された期限は6ヶ月。短くはないが長くもない時間の中で、自分がやるべきことを精一杯やって卒業しようと思った。

ここまで頑張れたのは「主役」がいたから。そしてこれからも

季節は遡っていまから7〜8年ぐらい前。進路で悩んでいたときに母親から言われた台詞がある。

「〇〇(当時の彼女のこと=今の妻)がいなくなったら、あんたはどうするの・・・?」

至極まっとうな意見であるし、人生の迷い子だった当時の自分にとっては、これに返す言葉は見つけられなかった。ただ今となっては堂々と言える。

「自分は誰かのためじゃないと生きられない。主役を引き立てる名脇役になりたい」

改めて振り返ると、いなフリの運営は「主役であるのんちゃんをサポートしたい」ってところからスタートしているし、いなフリの事業そのものだって「受講生の人生(主役)にスポットライトを当てること」が歓びだった。
経理・労務などのバックオフィスの仕事だって、その仕事自体が好きというより「一緒に働くメンバーの支えになれたら」というのが根強くある。

だから自分が仕事をする上で「誰と働くか」、つまり「誰を主役にするか」というのは最も重要なポイント。

そして音響。知ってのとおり映画や舞台の良さを引き出すには音の力ってすごく大事で(無音のホラー映画は怖くないから)、そういう意味では自分にとっての音響ってすごく性に合っていたんだな、って我ながらびっくりしている(笑)

主役を引き立てるだけなら裏方のお仕事もあるのだけど、自分の性格を考えたときに表に立つ側でいたかったのも、名脇役を選んだ理由の一つ。

名脇役は主役と同等の演技力(スキル)が必要。だから・・・

映画やドラマ、舞台などで、主役を引き立てながらも、主役以上の存在感さえ感じさせる脇役 (デジタル大辞典より)

「名脇役」と辞書で引くとこのように記されている。いなフリで一緒に働くメンバーは本当にみんな仕事ができる人ばかり。名脇役になりたいとは言ったものの、今の自分にその能力があるかというと正直ない

なので、30歳まで残り1年となった今だからこそ、自分のスキルを高めつつ自分自身のやりたいと向き合う時間に使いたいと思っている。もちろん業務量を調整してそのまま運営を続ける選択も考えたし、むしろ卒業1時間前まで仕事していたぐらい・・・笑 

けれどあえて「運営を離れる」という選択を取ったのは、今年からスタートした「キャリアスクールとしてのいなフリ」を見るのが怖かったのかもしれないし、単に自分が守りたかったいなフリが大きくなって、自分の役目を終えただけなのかもしれない。本当の理由はいまはわからなくて、きっと4〜5年後にはじめて答え合わせができると思うから。

4年間、誰よりもいなフリを使いこなしたんじゃないかな?

いなフリに出会ったから4年間。とにかく自分らしいキャリアについて、そして人生についてとにかく考えに考えた日々でした。そしてそれと同じくらい、他人の人生についても一緒に悩んで考えた。
(いなフリ関係ない人の相談乗るときも、なぜか「いなフリっぽく」なるのは職業病か・・・。)

いなフリを知ったのが24歳、そして今が28歳(もうすぐ29歳)。20代という貴重な時間の中でいなフリに出会えて、運営本部メンバーとして関われた時間は、たぶんこれからの自分にとってとても大きな自信になるんじゃないかなって思っています。

このいなフリを通じて出会った皆さん、「いなフリ運営 / 経理のはりー」として本当にお世話になりました。そしてこれからは「音響のはりー」として、どうぞよろしくお願いいたします!


元・田舎フリーランス養成講座 運営事務局長 はりー


Special Thanks

池ちゃん
のんちゃん
行武さん
美緒さん
ふうかちゃん
ミヤチ
おのたく
ナナシロさん
あや
きのこさん
ハマさん
ななちゃん
みずき
高さん
・まるも、hinode、teraco. 会員のみんな
・そして、いなフリを通じて出会った皆さん

【編集注】
※1: 「音響」とは一言で言ったものの具体的に何というのは実はまだ見えていない・・・笑 ひとまずは音に関わる仕事を増やしていけたらよいなと!
※2: 2021年3月現在、「田舎フリーランス養成講座」は「ワークキャリア」にブランドリニューアルしていますが、本記事ではあえて当時のままの名称にて記しております。最新情報はコチラから! 

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