どうでもいい勝負からは「逃げるが勝ち」の精神で行けば物事は上手く進んでいく
「逃げるが勝ち」という言葉を作った人は天才だなとつくづく思います。
何かの番組で、ホリエモンが成功者はボールをすぐに手放して、相手に渡すということを言っていました。
逃げるが勝ちもホリエモンの言葉に近いものがあるのではないかと。
なんでも自分の思い通りにしようしたり、主観でしか物事を見れない人は、逃げないで勝とうとします。
自分を正当化することが当たり前になっている人たちは、悪いのは相手になるため、どの戦いでも勝利しようとします。
周りの人たちは利己的な人と利他的な人のどちらを手助けしたいと自発的に思えるか。自分が勝つためだけの勝負からはいくらでも逃げて構いません。結果的により良い行いができればいいわけですし、大勢を巻き込んだ方が大きなことができます。
常に自分が勝とうとして目の前の1勝のみを追い続ける人。
スポーツで目の前の戦いに集中するだけです。という発言とは違い、勝ち負けにこだわる必要のないところで戦っている人たちがいます。
求められてもいない状況でアドバイスをする人は要注意です。
アドバイスをする行為は一見すると相手のためになっているように思えますが、相手がアドバイスを求めておらず、ましてや話し合いの場みたいなところでアドバイスのような発言をすることは、「自分はできている」という前提があるわけです。
その上で、アドバイスをするという行為は「私のようにできない人たちに対して」行っているわけです。
誰も上がっていない土俵で指導しているようなものです。
相手のことを自分事として捉えるのは素晴らしい事ですが、アドバイスは親身になっているわけではなく、上の立場であり距離があります。
「逃げるが勝ち」
戦わなくてもいい土俵には上がらずに、周囲を巻き込んでしまえば対立軸がなくなり勝ち負けのないところで行動していけます。
いらないプライドを遠くにぶん投げて、相対的な立ち位置なんか気にせずに、不必要な戦いの場に上がらず、本当に必要な戦いのための準備をする。1対1の戦いではなく、周囲を巻き込みながら、戦わずして勝つところを目指すのがいいんだろうなと
孫氏の兵法書も戦わずして勝つが基本です。
世阿弥も「離見」「離見の見」を大切にしています。
自分を大切にすることと自己正当化は全くの別物です。
正しいとか正しくないとか、その土俵から素早く逃げることで、人生の価値(勝ち)を見つけましょう。
お後がよろしいようで