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嫌いな人は2種類に分けられ、対処方法が異なります

職場や身近な人でどうしようもなく嫌なところが目に付く人っていませんか?

嫌な感じは大きく2パターンに分かれます。

1つは自分では抑えられない内側からの嫌悪感、もう1つは苦手なものを目にしてしまった時のような嫌悪感です。

苦手なものは、例えば虫が苦手な人が虫を目にしてしまった時の嫌悪感です。
生理的に嫌いというやつです。

こればっかりは致し方ないです。
生理的に苦手なもの、嫌いな食べ物や嫌いな物を克服しようとしても、幾分マシになるくらいで好きになることはありませんし、苦手なままです。
感情が動かされるのではなく、鳥肌がたつ類の嫌いは精神的にも身体的にも悪影響を及ぼす可能性があります。
こういう人に会ったら、出来うる限り近づかないようにしましょう。
無理なものは無理なのですから。

誰かにその対象者の事を悪口でもなんでも構わないのですが、積極的に言えるのであれば、まだ大丈夫です。
口に出すのもおぞましいと思える人とは距離を取らないと、生活に支障をきたすレベルの嫌悪感なのですから、離れるしかありません。

問題は内側から怒りといった感情が沸き立つ類の苦手な人。
感情が揺り動かされるということは縁が深い人です。
出会うべくして出会ったというか、このタイミングだからこそ出会うことができた人なのです。
なんで嫌いな人なのに出会うべくして出会わなければならないんだと疑問に思うかもしれません。
なるべくなら、負の感情を揺さぶられる人と一緒にいたいとも思えないですし、出会わなくてもいいのであれば、出会わない方がいいと思う方が多いと思います。

私もできる限り会いたくないなと思いますし、なるべく近づきたくないなとも思います。

ただ、この類の人の苦手な部分や怒りの感情が内側から出てくる部分は、その人が嫌いというわけではなく、同族嫌悪と言いますか、他人は自己の鏡と言いますか、結局は自分の克服すべき点だったりするわけです。

つまり、自分が克服した方がいい部分を、その人が見せてれているわけです。
自分の負の部分であり、克服しなくてはいけない部分であるからこそ、感情が揺さぶられるわけです。
その人の苦手な部分は誰もが感じている部分だったりするにも関わらず、怒りの感情を抱く人もいれば、気にならない人もいるわけです。

ここで相性の問題で解決してしまうと、自分の成長につながりません。
その人そのものを嫌悪の対象としてしまうと、問題のすり替えになってしまうため、悪い方向に転がってしまいます。

大切なのは、相手の嫌いな部分が自分の中にある事を認める事です。
ここを認めない限り、次に進めません。
怒りすら抱くほどの人の嫌いな部分が自分の中にあると認めることは大変な作業です。
嫌悪の対象をその人から自分に向けるわけですから。
それでも認めない限り、自己の成長につながりませんし、その人の嫌な部分がますます目に付くようになってしまいます。
なぜかというと、自分の成長のための出会いだからこそ、その出会いを仕組んでくれた存在は気づいてもらいたくてたまらないからです。

乗り越えてくれることを信じている存在がいるわけですから、出会いそのものに感謝しましょう。
そして、対象者に対するわだかまりが無くなった時、その人の嫌だと思っていた部分に対して、抑えられない感情が動かなくなった時、その自分の嫌な部分を克服したという確かな証になります。

その後、その人との縁がどうなるかはわかりません。
克服できたことでもたらされた縁がなくなるかもしれませんし、大嫌いから大好きに変わるかもしれません。

無理にでも仲良くなりましょう。というわけではありません。
ただ、その相手は感謝を向けられる存在だということです。なぜなら、自分の負の部分を気づかせてもらえたわけですから。

同族嫌悪は同族でなくなれば嫌悪しなくなるわけです。
それだけで現在地よりも成長したことになるわけです。
結局は自己責任なんですよ。
自分で決めることができるわけです。

最後までお読みいただきありがとうございます それだけでとても嬉しいです ただ読んでくれただけで イヤ本当に読んでくれただけで十分です 本当に嘘じゃないよ