フォトグラファーは写真だけで語るべきか

結構昔から言われてる話かもしれない。が、私はどっちつかずな意見しか持ってない(笑)

「そういうテーマもあるし、そうでないテーマもある」

である。

写真で具体的なことを語るのは実のところかなり難しいと思っている。ドキュメンタリー的な写真であっても、そこに言葉がないと写真家の意図が明確に伝わることはないと思う。なぜかというと観る側のフィルタ(考え方や経験)が存在するからだ。単純に言えば、あるシーンの写真があるとして、不快と思う人もいれば、絶賛する人もいる。ということだ。写真家がある意図をもって撮影したものが、意図と違うように鑑賞されるわけだ。そこをコントロールしなくていいということなら、タイトルもキャプションも不要であると言い切れるだろう。

抽象的なテーマであったり広範囲な概念であれば話は変わる。作品の出来次第で少なくともタイトルがあれば鑑賞者に伝わる可能性がある。しかし、写真家の思いが意図したとおりに伝わる保証は無い。特に様々な社会にとって敏感なテーマになる場合が存在する。政治・宗教・民族にかかわるテーマである。写真家が愛を持って撮影し公開したとしても、敵意を持って受け取る人々は必ず存在する。これは正しいとか正しくないとは異なる問題である。非常にセンシティブな問題とも言える。そういう意味では、日本という国はかなり自由な国である。

いずれにしても、私は、写真家は写真を言葉(タイトル含む)とともに語る方が良いと考えている。ただし、それでも思いや考えが正確に伝わらないことは意識しておく必要がある。そして、写真家の立場で言葉だけで語るというのは説得力の無い話である。


1枚目/location: 那覇市内
2枚目/model: M

Panasonic LUMIX S1R
LUMIX S 24-105mm F4 MACRO O.I.S.
SIGMA Art 50mm F1.4 DG HSM

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