忘れていたもの 4
このころ過去生療法を受けたかった理由が「なんとも言えない孤独感、人に自分のことを認めてほしい」と思う一方で「注目されるのが怖い」という矛盾したものが存在していました。
人と人がすごく仲良くしているのを見てうらやましく思ってしまったり、自分は仲間に入れられていない気がしたりして疎外感を感じ、深いところで人を信じられていない気がしてました。(本当はそんなことないのに)
自分を愛せていないから、信じられていないから故でしたが、 夫と深くつながれていないと感じてしまって、また自分自身と深くつながれていないからこそ 出てくる感情でもありました。
それから、何回も見ていた夢のこと、そう、この時もちょっと不思議な夢を見ていたんです(苦笑)この夢はどちらかというと自分自身の心理状態を反映してるような夢にも感じたのですが、毎回似たような感じの夢を見ていました。
それは、旅行でどこかに宿泊しているのですけど、いつも自分は一人ぼっちなのです。部屋に戻ろうとなぜか自分の部屋をいつも探している。 見つからなくて迷路みたいに迷ってしまってるんです。たどりつけない。 ある時、誰に聞いても自分の部屋が見つからなくて途方に暮れててすごく悲しくなってしまうことがありました。通常の宿なら、フロントで聞けば一発でわかります。 でも、これは夢の中、フロントにさえたどり着けないのでした。 今でも、その夢の最後のシーンが浮かんできます。いつの間にか砂漠のようなところにポツンと一人自分がいる姿。 一体そこがどこなのか全くわかりませんが。。
この夢の話を夫やるーちゃんにシェアし始めたら、子供のようにわんわん号泣してしまった自分がいて自分でも本当にびっくりしました。
最初はこんな夢を見てねと普通に話していたはずなのに、なんとも言えない悲しさに包まれてしまったのです。
こんな風に家族の前で感情が噴出して子供のように泣きじゃくったのは生まれて初めてのことでした。 後にも先にもこの時だけです。
私、何やらよくわからないけれど、すごく悲しみを抑え込んでたんだぁと気がつきました。
すると「yokoさんの部屋はここにあるよ。@@@号室だよと」と笑いながら伝えてくれる夫がいました。娘にはヨシヨシと頭を撫でられてたように思います。
きっと夫は夢ごときに何泣いてんの〜って感じだったと思いますが。。。後になってじんわりと2人の愛と優しさに包まれていたのだと感じました。
それから、毎年9月の終わりから10月、秋が近づいてくるとなんともいえない物悲しい気持ちになっていました。季節的なものかな、ホルモンのせい?
ピアノの旋律でもわけもなくセンチメンタルになってしまって泣けてしまうこともありました。
10月はちょうど結婚記念日なのに、勝手に自分で一人で落ち込んでしまうことが多かったのです。(今はもうそんなこともありません)
時折なんともいえない悲しみや寂しさが自分の奥底から湧いてくる感じがして、 夫がそばにいてくれるのに、なぜか繋がっていないような感覚があって、大きな壁があるような感じがして、辛く感じてしまうことがありました。コミュニケーションがその頃は少なかったり、会話していても話が通じないというか、言葉の壁というよりも、感覚的に通じ合っていない感じで、なんだかずれてしまうことがあったからなのですが、他の方の過去生のシェアで、ものすごく感じるものがあり、悲しくて悲しくてたまらない感覚が湧き出てくるようになって、その当たりからなんともいえない孤独感がまた出て来たりしていました。
自分の全てを受け入れ愛していけば、きっとこの魂の傷は癒されてると思って、がんばっていましたが、なんとも言えないこの感覚が湧いてきてしまって、この時は結構辛かったですね。他にもきっと色々な要因が絡んでいたと思うのですが、もう随分前のことだし、執着してることももう全然ないので、なんだったか思い出せなことが多いです(笑) 日記を書いてたから思い出したという感じ。 辛く感じる感覚もあったけれど、 この時、ちょうどフランス語にはまっていて、夢中になることで悲しい感覚を少しの間忘れてフランス語にはすごく癒されていました。
なので、ヨーロッパの国やフランスが出てくるかなって思っていました。
この年の2年前に娘がずっとフランス、フランスと言い続けていたため、とうとう12歳の時にフランスへ家族で行くことになり、娘はフランスに住みたいと言い出し、私はフランス語が全然話せないのに、フランス語を聞いてるだけでなんだか幸せでワクワクしてしまい、その後、帰国してからフランス語の勉強を開始して、無謀にも言語交換などを色々なフランス人とするようになったのです。しばらくはフランス語にはまっていて、ウキウキしてたので、ポカホンタンスを見て感じたことはすっかり忘れてしまって、さら〜っと受け流してしまったのでした。 おそらく見たくなかった、知りたくなかったのかもしれません。
もう一つ面白いな〜と感じたのは、私の夫の母国語はスペイン語。夫との共通言語は日本語と英語。 スペイン語は全く使いません。しかし、夫の家族には英語が通じませんから、夫の国へ行った時や電話がかかってきた時、意思の疎通が大変なので、スペイン語を独学で勉強始めるも、夫は全然協力的ではなくて(夫は日本語に苦労していたので、私とはスペイン語で話したくなかった)、なかなか大変でした。
自分なりに学習していたのですが、なぜかスペイン語があまり好きになれなくて、なかなか上達できず苦戦していたのです。でも、不思議とフランス語は楽しくて楽しくて、作文もどんどん自分で作っていました。全然飽きなくて没頭できたのです。 どんどん音が自分の中に入ってくる感覚がありましたが、スペイン語はなんだかちょっと受け付けない感覚があったんです。動詞の活用が大変ってのもあったのですが、それはフランス語も同じなのにフランス語は全然苦にならないのでした。
そして、この時の過去生はスペインとフランスが出てきて、色々なことがこの時も現実の今とつながっていました。 詳しいことはここでは割愛しますが、秋に物悲しくなってしまうのはこの過去生の時、秋の季節に夫が戦死したからだとわかりました。この時、お互い大好きだったけれど、すれ違ってしまって、一緒になることはできず、お互い相手のことを想いながら、亡くなっています。この時、悲しみや孤独感を色々感じていたみたいです。
フランス語にワクワクしてしまったのも、スペインでの生活があまりに辛すぎてフランスで色々な人たちに助けてもらって優しくしてもらって癒されていた記憶があったからでした。 私は他にも実は南米の過去生も2回ほど経験していて、すごく辛い人生を2回とも送っています。スペイン語がなかなか自分の中に入ってこない、受け付けない感覚があったのは、ひょっとしたらそういうことも関係していたのかなぁと後になって思ったりしました。 今は、スペイン語に対してもう嫌な感じがしないんです。
正直、思い出さなくても今を見ていけば、今が過去生の集大成というか、全て答えは今に繋がっていて、今を楽しく生きてれば、それでも十分だったりするのですが、アロマのレッスンをしてたり受けてると、魂が刺激されて目覚めてくると手放した方がいい古い自分の課題みたいなもの、生き方のパターン、生き癖みたいなものが炙り出されてきて、その根深いところが過去生にある場合、受ける流れになったりします。あるいは受けなくても、他の方たちのシェアで癒されたり、気づきがあってもう大丈夫〜となったりもします。
色々な感情や感覚が浮上してくるのも、もういらないからこそ気づくために出てくるのです。 古いパターンに囚われてるよ、気づいてねと。 本当はもっと軽くなりたいから。 本来の自分を思い出してねと。魂から気づきをもらってるだけ。
ただ、 みんながみんな同じように反応するかというと、その人の魂の学びや成長の段階も人それぞれなので、反応の仕方はきっと様々なのかなと思います。
こういうことが全く必要ない人もきっといらっしゃるかもしれませんし、よくわからないで過ぎていってしまう方もいらっしゃると思います。
感じ方も学びのペースはみんな違っていて、それぞれなので、その時その時、その人に必要なペースで必要なことが絶妙なタイミングできっと起こってるのかなと思ったりしています。
私は結構エネルギーとか色々なことに敏感に反応してしまうタイプかもしれません。過去生セッションをまだ受けていないのに、申し込んでもいないのに、毎回色々感じてて受けるまでの間に伏線がいつも色々あって、受けようと思っていなくても受けざるを得ない流れになっていくことが非常に多くて
いろんなことがつながってるというか。
導かれてるというか。
思い出してと言われてるかのように色々見せられたり、物事が起こります。
いやいや、これは気のせいでしょ、たまたま、偶然でしょと半信半疑な時もありましたけど、それしちゃうと気づかないまま通り過ぎてしまい、本当に大切なことを見逃したりするので、最近は素直に受け止めるように意識しています。
どんな出来事も、その人に必要だから起こっている。 全ては必然。
本当は偶然なんてないのです。
さて、この後の続きはどうなるか、また過去生セッションを受けることになるのか、まだちょっとわかりません。
とりあえずこのタイトルでの投稿は一旦これで終わりにします。
*いつも長くなってしまうので、どの辺で区切って投稿するのがちょうどいいのか。
今日も長くなってしまいました。 もし、読みにくかったら、ごめんなさい。
最後まで読んでくださった皆さん、どうもありがとうございます。ハートもいつもありがとうございます。