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ただ存在するだけで価値がある

中学の社会の授業中に、先生が印象的な事を語った。

「皆は資本となるような沢山のお金を持っていますか?持っていない人は社会に資本として労働力を提供するのです。それが資本と労働の関係です。」と言った。

なんか今さらっと凄い事を言ってる?と一瞬思ったことを良く覚えている。

え~~!!

授業後の休み時間も友人とおしゃべりしながら、ずっとその衝撃が頭から離れなかった。

世の中って、そんなふうに立場の異なる人たちで形成されているんだっけ。

労働力を提供するしか、私は選択肢がないんだっけ。

何だか、私には、自分を元手としてお金を稼がないと価値がないというメッセージとして受け取れてしまったから、自分がちっぽけな存在になったような気がして、心もとなかった。

クラスの誰も、その場で疑問を投げかけなかったし、すぐに次のトピックへ進んでしまったので、もやもやしていたのは私だけだったのかもしれない。

私たちは、存在するだけで唯一無二の価値がある。

だけど、私が大人になるまでの間に、「ただ存在するだけで価値がある」という真実を教えてくれる大人はいなかった。

ただ、その逆のアナウンスだけは、言語化、非言語化、あらゆるところで目にした。

しかし、大人たちは私の幸せを願って、優しく、教え諭したのだから、彼らにとっては、愛をもった教育であったのだと思う。

それが、真実ではなくても誰にも責任はない。誰もそんなふうに教わってきていないのだから。

そして、私も素直に社会の教えに則り、心の底に感じる疑問にフタをして、普通の社会人として生きてきた。

そして、今。

自分に無限の力がある事に気付き始めている人が、どんどん増えている。

そして、個々の能力で、自由に社会へ貢献することが可能になった。莫大な資本がなくても、営める事業もどんどん生み出されている。

今の中学生が大人になる頃には、私達の今の働き方は過去のものとなり、軽やかに社会を形成していくのだろう。

また、時代も本当に必要なものだけを後世に残していくのだろう。

将来、子供たちの半数以上は、今は存在していない職業に就くと言われている。

どんな仕事で社会を明るく照らしていくのか、彼らの創る世界がとても楽しみだ。

真実は私たちのハートに、ずっと在り続けていたのだ。

もう自分に嘘をつかなくても、皆、真実を思い出しても、大丈夫なのだと。






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