見出し画像

【患者さま家族の声】大切な人に寄り添う。疾患を抱える家族と「共に生きる」とは

もしも家族が突然倒れたらーーー
 
毎日当たり前だった穏やかな時間が、
疾患により突然変わってしまうことがあります。
 
今回お話しいただく赤池哲弥さん(56)は、家族の急変を経験した一人です。
 
今から7年ほど前、妻の順子さん(58)が突然救急搬送され一時は生死をさまよう状態になりました。
現在は事務職として働くまでに回復したものの、難病と共に生きる毎日が続いています。
 
もしものとき、大切な人をどう支えるのか。
疾患を抱える家族と共に生きるとはどういうことなのか。
 
7年もの間、もっとも近くで支え続けた哲弥さん。
当時、どんな思いで寄り添い続けたのかを振り返りつつ、自宅での生活を支える現在までの経緯をお話しいただきました。

赤池哲弥さん


突然の救急搬送からリハビリ病院まで。面会に通い続ける毎日

―――奥さまの疾患と経過について教えていただけますか
 
2016年の3月、起きてすぐに「具合が悪い」と言ったのが始まりです。
私も珍しく「救急車を呼ぼうか?」と言いましたが、本人が「それほどでもない」と言うので、そのまま仕事に出かけました。
 
その日は仕事が早めに終わったので、普段より帰宅が早かったのを覚えています。
家の近くまで来ると我が家のまわりに人だかりができていて、近所の方に「奥さんが倒れて救急車で運ばれたよ」と言われたんです。
 
慌てて病院に向かいました。
 
後で知ったことですが、妻は意識不明の状態で、救急車内で3回ほど心肺停止の状態になったそうです。
 
 
病院に到着すると、妻はすでに手術中でした。
担当医によると、子宮筋腫(子宮にできる腫瘍)が破裂し血栓によって肺梗塞(肺の血管内が血の塊によって詰まってしまう病気)を起こしている、とのこと。手術は長時間に及び、ICUに案内されたものの会うことのできない時間が長く続きました。
 
搬送された当日と翌日は血の気が引き、何も食べず、飲むこともできずにただ病院で過ごしました。
控室のような場所を使わせてもらい、横になることもできたのですがとにかく「電話が鳴ってほしくない」「誰かが来てほしくない」という思いしかありませんでした。妻に何も起こってほしくない。電話が鳴るのも医療スタッフが来るのも怖かったですね。何もなければ連絡が来ることはありませんからね。
 
―――ICUでも厳しい状態でしたか?
 
妻は、出血と輸血を繰り返しながらICUで頑張っていました。搬送されてから初めて対面したときはよくTVで見る「救命救急」のシーンのようにたくさんの管や機械につながれた状態でした。お腹に視線を向けると、腸がむき出しの状態でした。子宮筋腫が破裂して血液が一気に体内に巡ってしまった影響で、腸が膨張してしまい、手術で切った皮膚が閉まらなくなったそうです。最初見たときは、「これは本当に妻なのだろうか…」と愕然としました。
 
ですが、私が呼びかけるとうっすらと妻が目を開けたんです。
 
ICUのスタッフも驚いていましたね。
その瞬間から「妻は絶対に戻ってくる」と信じて、少しでもそばにいて話しかけられるようにと時間があればしょっちゅう病院に通っていました。仕事の後に寄ったり、休日は朝から出向いてリハビリを見学したり。何かができるわけはないのですが、近くで寄り添いたいという想いだけで、休むことなく病院に行っていましたね。
 
病院では心肺補助装置のような機器に繋がれて血栓予防の薬も使っていましたが、思うように血栓が減らずに厳しい状態だという話が何度もありました。身体のあちこちが浮腫んでいましたし、不安定な状態が続いていたようでした。
 
状態が安定するまでは長い時間がかかりましたが、少しずつ心肺補助の機器やたくさんの管が外れていきました。ICUから個室へ、2ヶ月後には一般床の個室へと移動することができたんです。また、早い段階からリハビリもはじめていました。
 
リハビリに付き添ったり、病院の食事があまり進まない時は食事を作って持っていったこともあります。結局、最初に搬送された病院では4ヶ月ほど、次のリハビリ病院でも3ヶ月くらいは毎日面会に行っていましたね。
 

 疾患とともに生きる家族との日常

―――寄り添いながらここまで来たという感じでしょうか
 
これまでも治療やリハビリなど、一緒にいろいろなことを乗り越えてきました。
 
リハビリ病院では、一緒にリハビリ室に行ったり、食事をしたり。
側にいることしかできませんでしたが、近くにいることで妻の中で何かが変わればいいと願う気持ちもあったように思います。
 

―――リハビリ後も障がいが残っていますか?
 
一連の経緯で、妻は高次脳機能障害※となりました。
外観上の変化は少ないですが、考えたり話したりすることがとても疲れるようです。妻は現在も事務職として働いていますが、仕事のあとはぐったりしている程です。

※高次脳機能障害
高次脳機能障害とは、脳卒中などの病気や交通事故などで脳の一部を損傷したために、思考・記憶・行為・言語・注意などの脳機能の一部に障害が起きた状態をいいます。
(東京都医師会https://www.tokyo.med.or.jp/docs/handbook/358-375.pdf

また、慢性血栓塞栓性肺高血圧症※も抱えています。
発症してから7年ほど経ちますが、現在でもたくさんの薬を飲んでいますね。
同じ効果の薬でも妻には合わないこともあるし、薬を使うということは薬そのもののリスクも考える必要があります。例えば、再び血栓ができないための「血液をサラサラにする薬」は肺塞栓には効果がありますが、一度出血するとなかなか止まりにくい。現在は、薬剤の調製や変更も行いながら状態に合わせた薬を5種類ほど服用しています。

※慢性血栓塞栓性肺高血圧症
血栓が肺動脈をつまらせ、肺動脈の圧力が上昇する疾患で、難病に指定されています。
(難病情報センターhttps://www.nanbyou.or.jp/entry/192


家族が病気になって初めて気づいたこと

家族が病気になって初めて気付いたことは、当たり前のように過ごしていた生活は奇跡だということ。今まで行けていた場所に行けなくなったり、高次脳機能障害によって覚えるのが難しかったり、忘れてしまったり。体調の変化が激しいので、無理せず目一杯休ませることを今は一番大事にしています。

難病指定の病気ですので、家族としても完治までいかずとも精一杯支えて、共に生きていきたいと思います。手を取って階段を上るとか、足の不快感があるときにマッサージするとか、小さなことですが、僕にできることは支援していきたいんですよ。穏やかな状態が続くよう、体調や食事のサポートや薬の管理など、これからも一緒に行っていきたいですね。

家族としてのサポートの様子を書いた哲弥さんのメモ

体調管理に欠かせない服薬。手間なく管理できたら安心

―――薬の管理はどのように行っていますか?
 
現在は紙のお薬手帳を妻自身が常に持ち歩いています。薬の記録だけでなく病歴や個人情報、緊急連絡先など一括して管理できるので、万が一の時のために持ち歩いています。
 
飲み忘れは、、、正直ありますね。
スマホのアラームなどで管理していても、つい飲み忘れてしまうことがあって。
 
妻の場合は、命に関わるような大切な薬を長い間飲み続けています。
何とか薬の管理はできていますが、もっとラクに飲み忘れを防げるようなツールがあったらいいですね。
 
現在は医療機関に近い薬局をかかりつけにしています。
かかりつけ薬局にも薬を管理するシステムがあるようですが、まだ使っていません。
 
harmoは服薬情報が医療機関や薬局と共有できるのが良い点ですね。
個人の情報を共有すれば、医師も薬剤師さんも服薬中の薬剤と重複する薬はないかが一目でわかるし、飲み合わせを管理してもらえることはとても重要だと思います。
また僕自身も薬を飲んでいるので、自分の分と妻の分を一緒に管理できる家族登録機能もいいですね。
 
なにより、スマホの中にお薬手帳が入っていれば荷物も減りますね。
 
harmoぜひ使ってみます。

<妻:順子さんからいただいたコメント>
■薬と共に生きることとは?
私にとって薬は命を繋ぐとても大事なものです。 現在飲んでいる薬がまだ世の中にない頃は、私の疾患は発病したら余命2~4年が普通だったようです。しかしこの薬が出来たことで、早めに薬を飲んで元気な体をなるべく維持するという治療方針に変わったようです。 発病後、この薬を服用して10年以上生存している方も多くいます。 私の場合、最初は別の薬を飲んでいて、身体に合わず、一時期どんどん病状が進んでいって怖くなりましたが、今飲んでいる薬に出会ったことでかなり楽になりました。 薬を飲まなければ、とうに動けなくなっていたでしょう。薬という存在に本当に感謝しています。

さいごに

奥さんの献身的なサポートをされる哲弥さん。ご家族が難病と診断されてしまった方の中には、患者さんと同じぐらい、もしくはそれ以上に不安や心配で悩まされる方も多くいらっしゃいます。

愛する家族がある日突然倒れて難病になってしまう。今までできていた生活が送れなくなってしまう。不安で仕方がないと思います。ですが、"ご家族だからできる"ことも必ずあると思っています。harmoのアプリの中には、家族連携機能があり、ご家族で情報を共有することも可能ですので、少しでもお薬の管理が楽になれれば幸いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?