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終活。見ず知らずの私へ

 お母さまが終活をしているという方から
「着物を受け取ってもらえないか」
といわれたことがある。着物は大好きだけれど私はほぐして小物に仕立て直すのが主なので、もったいなくていただけませんと辞退しつづけていた。

 着ても切ってもいいので受け取って、とのことで数着、お受け取りをした。包みを解く。お召しになっていた年齢の順にたたんで下さったのかなと思われるお着物。

 紫と桃色の矢羽絣は女学校に行かれた頃のものかな。
 次は絹。青竹の凛とした織模様のおしゃれ着、格好よかった。
 次にあるのはウールだった。日常着ですね。大正、昭和と時代が動いていくのを手元で見ているような心地になる。日常着はところどころにあて布のある、闘い抜いたお着物だった。
お母さまは青春の思い出を私に託したのだと感じた。機会があったらお話をききに伺おうかなとも思った。

 絹の襦袢もあった。少しずつといて、濃い色と薄い色の布を重ね合わせてつまみ細工の花を拵えた。竹の模様や、はっきりとした染めのお着物から、そのお母さまの好みは…と考えて、テッセンのような形の花にした。

 つらい時代の布にお疲れさまの気持ちを込めてフェイクパールの玉を乗せてささやかな簪(かんざし)にし、着物の持ち主であったお母さまに渡してもらった。

90歳をこえて簪が手元に…と喜んで下さったようだった。



 それから少しして再びその方から連絡があり、お母さまが亡くなったと。お部屋の整理をしていたら封をした大きな包みがでてきて、私の名前を書いたメモがあったので渡したいとのことだった。

 大きな包みは受け取ってから何ヶ月も開封できずにいたけれどやっと開けた。「御誂」「大丸」などと、たとう紙にかいてある。かつてわたしも自分の着物、母の着物などを畳み直したり包んだことを思い出す。懐かしい。

 紙紐でところどころ結んであるたとう紙を、といた。風格のある美しい黒だった。
 もう一着も黒で、錦糸でおおきな獅子の刺繍、縄刺繍というのか、たじろぐほど華やかなお着物だった。
 更にもしやこれは、と両手でささげ持ったら羽織り。その裏打ちはもちろん豪華で、「ああ、そうこなくっちゃ」とお着物と会話しながら広げた。

「知人のお母さま」という事のみでお会いした事もなく、お名前も知らない方から託された着物。どっしりと重く、音がするようだ。
 広げては畳み、畳んではまた広げる。お母さまもこうしていたのかな。それともお出かけの時にお召しになったのかな。
 着物は、好きな人のところに居るのが幸せだと聞く。私は着物に好いてもらったのだろうか。着物に見合う人間かどうかは、まったくもって自信がない。何しろ、まだ袖を通すことさえ腰が引けて畏れ多くて、できていない。

 とてもとても、今のわたしには袖を通せない。

 

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