見出し画像

知っても仕方ないけれど

亡母の癌、どこにどのように転移して
どんな進行レベルだったのか
知っておきたい

介護していた頃は
「治らない段階になっているのだから進行レベルを知っても手立てはない、知ってどうなるものでもない」
「それよりも今この一秒を大切に一緒に過ごしたい」
「にこやかな顔で接したい、辛い現実を知ったら顔に出てしまう」

など様々な感情が渦になっていたなあ


母はずいぶん前からあちこちの不調を抱えていて
でも父親の気が狂っていたので自分が病院にかかることを極度に憚っていた

母の死後ポツリポツリ調べ得た情報のなかには

「このような症状があったらこの癌を疑え」みたいなものもある


医師が発信している動画やテキストではあるけれど、エビデンスのないものもあまた。むしろ医師が再生回数目当てでたった一人でブチ上げている動画がほとんどなんじゃないかなと感じる現状。

それでも患者や家族は何かしらの情報を得たくて、そして光の道があるかもと藁にも縋る思いで情報の坩堝に足を踏み入れてしまうのだろう


母も首が痛い、星空を仰ぎ見ることができない、首から痺れが広がっている
等々言っていた
会うたびに
「痺れが肘まで来ている」
次に会うと
「手首まで痺れがいつも」

そんなに辛いなら病院に行くのが普通なのだが…
狂った男を抱えた家庭では「ふつう」に「病院に行く」ことは不可能なんだ

私の体にあれこれ巣食っている症状も亡実父が病院嫌いだったことが多分に起因している
そしてそれに洗脳されたような実母。

結果的に私は医療を受ける機会を幾度も絶たれ、
児童の時は風邪が重篤化して肺炎になり医師から入院を勧められても叶わず
割れるような頭痛の中、子供心に
「私は熱で茹ってしぬのか」
と思った

子供の頃から数えきれない具合の悪さに襲われる体だったのだけれど、
痛みであぶら汗をたらしていても
「痛いのが普通と思えばいい」
「我慢が足りないせい」
「全くどうしてこう弱いのか」
これらの言葉が今でも頭を離れず、弱っている時にふと思い出して更にぐったりしてしまう。


癌になりやすい人 というワードをふと見てしまった
まあ遺伝は昔からいわれていることだから
私でも、また誰だって膵臓がんの可能性がゼロという人はいないでしょう


そうは思ってもひょいと不安の沼に嵌ってしまう事がある
首が痛い
何年治療に通っても治らない
完治は見込めないという診断
広がる痺れと痛み
脇腹もそうだ
背中もすぐ痛む
筋肉痛なのか、中身がジクジクしているのかよく分からない
検査してもらっても答えは出ない
私が何をしたというの?
自分に原因を求める暗い思考、限りなく低くなっていく自己肯定感


病気ならば、はやくとどめを刺してほしい。
寝ても覚めても痛い、浅い眠りからまた痛みで目覚める暮らしの中に生きる楽しみを見出すことに疲れた。


トドメを刺してほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?