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ずっと好き、これからも好き。

 幼稚園の頃から「ミシンふみたいふみたいふみたい」としつこく言い続けて、じゃあ一年生になったらね、と大人は言った。一年生になってOKが出たのは足踏みミシン。椅子に座るとわたしの足は踏み板に届かなかった。

 そもそも踏み板は両足を前後に置いて右足と左足を交互にふみこんでパタパタと作動させるしくみだ。大人は「出来ないことが分かったでしょう。踏めるものならやってみなさい」。

 何としてもミシンを使いたい。両足が使えないなら片足でやりゃあいいだろう。

 私は右足で立ち、左足を踏み板に乗せた。7才のわたしは18cmの足のつま先をふみこむ。針がツツッと進んだらすかさず左足を手前に引いて、今度はかかとでじわっと板を踏む。踏み込む力の加減がうまくいかずプーリー(はずみ車 ・はずみぐるま)を逆回転させては糸絡みを起こしを繰り返すうちに、ミシンの呼吸がわかってきた。スムーズに針が進められるようになった。
 
 立って片足でミシンを踏む7歳に、母は「危ない。おばあちゃんに教わったのか」と訊く。祖母は「母がこうしろと言ったのか」と詰問する。だれにも教わってないよ。

大人たちは文句を言わなくなった。

* * *

 足踏みミシン踏めるようになったよ、約束通り次は電動ミシンを使わせて。一年間またしつこく訴えたら
「2年生になったらね」
2年生になった、しかし「使っても良いが電源を入れるな」。

 電動ミシンの前に座れる。この前まではミシンの椅子に座っただけで叱られていたけれど、座っていいんだこの椅子に。嬉しくてたまらない。
 電源を入れない工業ミシンのプーリーを手で回し、チクチクチマチマと縫った。手縫いの方が速いのでは?という速度。でもミシン目が連なるのを見るのが嬉しかった。重たい鉄のプーリーを回し続けて、人差し指と中指に大きな水ぶくれができた。

 ここでまた大人に叱られたが、水ぶくれが治るとまた縫った。


 大人は根負けした。電源を入れることを許された小学二年生。嬉しかったなあ。何しろ踏み板を踏めばずんずん縫えるし、足を離せば止まる。足踏みミシンよりかんたんだった。

 何より動力モータのグオーっという音に心が躍った。

      * * *

 袋を縫った。端を折りかえして紐が通せるようにする。押入れの右下に、色とりどりの紐とゴム通しがしまってあるのはとうに知っている。 

 次は枕がほしい。細長い布を折ってフリルを寄せ、わたを詰めてフリル付きの枕を縫った。思っていたより小さな枕になったので、黒い電話の下に敷いた。

 布は折り紙のように形を変えて、暮らしを彩ってゆく。


      * * *

 小学6年生の夏、「縫い物の勉強をしたい。この大学に行こう」と決めた。それから6年間、「大学に行きたい行かせて下さい」と訴えて最終的に親に土下座し、就職したら学費を返す借用書を書いて進学させてもらった。

 私はしつこい。縫い物に関しては多分、かなり、しつこい。

 ただただ、縫い物が好き。学んだ知識が形になるこの仕事が好き。
 日々新しい技術が考え出され、おどろくような機能をもった素材が開発されていく刺激と、昔々から連綿とつづく慈しみの手仕事が共存しているこの世界が好き。

 不便な思いをしている人が心地よく過ごせる衣服、子供が思い切り遊んでも形よく安全な服。
 衣服はいのちを包むもの。マスクしかり。肌が痛くなる、でも身につけなくてはならない、そんなのつらい。


 いのちを包むものに、我慢はいらない。
あったらいいなあという思いを形にした日用雑貨。無くてもいいようなお茶目なポーチ。手にした人が喜ぶものを作る幸せ。大好きなミシンは大好きなヒトを守る。

お読みいただきありがとうございました。

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