否定でもなく、肯定でもなく、距離をとるという第三の選択肢を使えるようになって、楽になったよという話
年をとると色々なことが上手くなる、強くなるのではなく上手くなるのだ。
それは若い頃に憧れていた強い人間ではないかもしれないが、自分の持っているカードを理解して、それでもぼくなりの誠実さで人生と向き合おうと考え、たどり着いた姿である。
傷だらけかもしれないが、まあ、しょうがない、カードは限られている。
薄っぺらい人生である、それでも若い頃よりかは、背中にドラマを背負っている。
最近思うのだが、自分が若い頃にしていた抽象的な話ではなく、限られた範囲ではあるが、抽象化した話は、人への伝わり方が全く違う。
自分でも何が違うのかわからない、それでも、抽象的な話をしていて、具体的な事例を積み重ね、そしてそれらを抽象化して話をする。
使う言葉は同じであるが、後者の方が圧倒的に伝わるのだ。
360度変わったということなのだろう、一周回ったのだ。
さて、同じようなことに、若い頃よく使っていた言葉で、山を登るのには、たくさんの道があるから、人の道を否定しなくてもいいというものがある。
とは言っても、まったくそんなことはできなかった。
あのクソ野郎、SEXのとき、必ずお母さんから電話がかかってくる呪いをかけておいたからなという、凶悪な呪いを何度も発動したものだ(´・ω・`)
SNSはぼくにとって、とても便利だ。少しだけ苦手な意見とはすぐに距離をとれる。
自分にとって不快な意見を目にしなくてすむのだ。それは、精神衛生上云々ではなく、相手を憎まなくてすむからである。
人を憎むことはけっこうしんどいことであり、じゃあ、汝の隣人を愛するほど、人間ができているわけでもない。
その二項対立から新しい選択肢がぼくにとって、少しだけ距離をとることである。
会社でもスタッフの退職を止めることはない。その人はその人の価値観で定められた熱量を消費すればよいし、ぼくはぼくの価値観で消費するだけである。
それは、無関心ではなく、個人の意見の尊重なのだ。
まあ、ぼくのような弱い人間のライフハックのようなものである。誰かの参考になれば嬉しい(´・ω・`)
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