罰って大事よ!という話(´・ω・`)

罰は大事だ。ただこの場合は罰とは、人事評価と、組織における懲戒という罰が別となっていることが前提条件で必要だ。

罰と人事評価は連動させることもできるが、基本的に別の概念である。

で、基本的なぼくの人間観だけど、どんな人でも他人の人事評価を下げることや罰を与えることは嫌がる。

そうは見えないかもしれないけど、ぼくだって嫌だ。

ひょっとして世の中には嬉々として、ぼくがスタッフの人事評価を下げたり、毎日のように懲戒を下しているように思うかもしれないが、そんなこたあない(´・ω・`)

それでもまあまあな規模の組織運営をしていると、罰ということの意味を見出すくらいには苦悩の連続がある。やりたくないけど、そうしなければならない理由・・・・(´・ω・`)

知っている人もいると思うけど、弊社ではルールブックというものが存在する。就業規則や賃金規定や会社の方針などをまとめたものだ、本社用・介護保険事業部用そして介護保険における様々なマニュアルの3つが存在する。

基本的にではあるが、仕事の成果云々に関しては人事評価で対応するものであるが、ルール違反等に関しては、懲戒で対応するべきものなのだ。

ルール違反に関しては、厳しく対応する。もちろんそれは人事評価とも連動させているが、基本的には別物で運用している。

ルール違反に厳しく対応する意味は、そこを放置すると真面目に守っている人がバカをみる組織に簡単になるからだ。

重要なことは、全員大事なかわいいスタッフである。誰も好き好んで罰したいとは思わない。嫌いな奴を罰するのならなんの問題もないが、そうでないのに罰しないといけないとそこには意味が必要となる。

大事な意味のひとつめは、どのような理由があるにしろ、守っている人がバカをみるような組織運営にしてはならないのだ。

もうひとつは、医療・介護におけるミスの非対称性についてだ。

昔から、加点主義でいくことが組織として素晴らしい、減点主義はよくないという風潮が世の中にはびこっているが、加点主義が成立するのは、ミスをしても取り返しがつくような仕事についてだけである。

数字の桁を間違えて発注ミスをしても挽回できるが、抗がん剤の用量の桁を間違えたら人が亡くなるのだ。

そういう組織運営は、どうやったらたくさんの成功者がでるようにするのかではなく、どうやったらミスを減らせるのか?という発想に自然となるのだ。

最後に・・・リーダーの役割は、誰もやりたがらない最後の仕事を引き受けることだと思っている。誰も人を罰したくないし人事評価を下げたくない。

それでも、それでもである。結局、そういったことをキチンとしなければ、無秩序な組織ができるだけであり、それは自由な組織とは違うのだ。

介護保険事業が社会のインフラである以上、継続の最終責任をリーダーが負っている。そして、それを担保する一つの重要な要素は組織の秩序だとぼくは考えているのですよね(´・ω・`)


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