医療・介護系の管理職はスタッフの格差を受け入れることが必要になっていると思うのです(´・ω・`)

先日、東海北陸理学療法学術大会にて、リハスタッフのための働き方改革というテーマで話をした(´・ω・`)

好むと好まざるとに関わらず、労働関係の法律には、かなり詳しくなっているし、それが守られていないことが色々な問題を引き起こしていると考えているからだ。

そこの中で、管理職はスタッフ間の格差を受け入れる覚悟が必要だと説明した。

時間も限られており、なぜ必要なのかということを詳しく説明できなかったので、ここで説明しようと思う。

たまには、ぼくだってきちんとした文章を書けるんだエッヘンといいたいのだ(´・ω・`)

持論であるが、医療・介護系のマネジメントにGAFAだとどうだ、ハーバードがどうだとかいう手法は馴染まないと思っている。

ぼくたちは、アイビーリーグを出ている集団ではない。偏差値35のボーダーフリーから65の京都大学までが、同じ資格で働く少し特殊な環境だからだ。

そこでは、様々な文化背景があり、教育歴があり、育ってきた環境が大きく違うのだ。社会というのはそういうものだと認識するのもいいけど、例えば大企業ではここで、採用時の大学名での選別が行われる。

そういったことが行われるということは、バラツキを少なくするということである。そういったバラツキを少なくした状態で、件のGAFAだか、ハーバードだかの教育システムなどを活用するのは意味があると思うけど、バラツキの大きい集団に対しては、また別のマネジメント手法が必要となる。

それはいいわるいの問題ではない、そういうものだという現状認識の問題である。

で、ただ、そういった場合でも、成果が明確にわかり、そして集団の中の何人かが抜きんでた成果を出せばその集団を維持することができるようなものなら、そういったGAFAとかの手法は使えるのかもしれない。

医療・介護はそうではない。

偏差値が35だろうが65だろうが点数は全く同じなのだ。

それは、実はすごいことである。安定的にサービスを供給するにはこういった手法が都合がよいのだろうと思う。

成果を出す人を評価する仕組みと成果を出さない人でも居場所がある仕組みは、優劣ではなく思想的な文脈で語られるものだ。

だから、そういうものだという認識が必要だ。

別の話になるが、そういった成果が見えにくい集団では、評価のフォーカスは成果ではなくその手続きに移行する。これもこれでしんどい人にはしんどいものだと思う。

で、そういった成果が見えにくく、色々な人が参加している集団で、同じ資格なら同じだけの収益が発生するという状態なら、経済的な圧力はどういった方向に働くのだろうか?

優秀な人がより優秀に成果を出す仕組みではなく、最低限のクオリティをすべてのスタッフが担保するという方向になる。

なんども言うが、これは正しい間違っているや優劣の話ではない。

そういった方向が合理的だということだ。

さらに、近年の働き方改革である。

古き良き時代、我々にとって時間外の勉強会や学会発表は義務であり、選択肢すらないものが普通であった。

学会発表をやらないというのは、何言ってんだお前?というレベルであり、普通するよね?というものなのだ。

だから、逆に悩まなくてよかった。それが普通だから普通のことをすればいいのだ。

ただ、昨今は異なる。それが命令ならば時間外手当を支給しなければならないし、お前の将来のためだと言えば、ハラスメントだし、勉強しない療法士に担当される患者さんが可哀そうと言えば、スタッフは病む。

そういったスタッフをより優秀にするという方向に大きな足かせがあり、加えて、貰える報酬が同一なら、最低限のクオリティを担保する研修にコストをかけるのが合理的だということだ。

ただ、それは専門職としての寂しさも同居する。

なんだかんだ、ぼくたちの仕事は腕で食べる職人であり、どれだけ世界が変わろうが、腕のある人が尊敬される風潮は消えることはないと思う。

臨床ができないというのは、軽蔑の対象になり得るものであり、どれだけ有名な人でもそういったディスが的外れだが成立するのだ。

ぼくたちは、根が真面目な人間の集団ではあると思う、そういった真面目な人が管理職になると、ひとりひとりが優秀な人間になって欲しいと考えそして、なんとかシステムに落とし込もうとする。

ただ、そういった善意で行う勉強会や学会発表などは、適正な命令権が存在しないのだ。もちろん、時間外労働命令にて従わせることはできる。
しかし、そのコストを誰が支払うのだ?

管理職個人では賄うことはできないし、経営サイドでは経済的合理性が説明できない。

弊社では苦肉の策で、様々な研修補助(研修会補助5万円、リハノメ視聴、学会発表交通費負担、大学院奨学金)を用意している。

運用してわかるのだが、それらは、組織全体のクオリティを向上するものではなく、学ぶ人がより学ぶという分断を助長するものだ。

もちろん、最低限のクオリティを担保するための業務としての研修をスタッフに課している。

それでも、まあ、自分で学ぶ意欲のある人がどんどん進んでいくだけのことなのだ。

そういった前提の上で、仕組みを作る。大切なことには順番があるのだ。

格差を受け入れる覚悟はできたか?俺はできてる。



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