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奥利根放浪記

所属同人のホームページがサービス終了で消え、間抜けなことにローカルのバックアップもPCのクラッシュで消え、登山に親しんでいたころの記録はほぼ失ってしまった。ほとんどは取るに足りないものだが、いくつかは自分でも後に読み返したくなるようなものであり残念に思っていた。先日、そんな記録のひとつが出てきた。転載してくれていた紙の記録集があったのだ。意欲的なんだか消極的なんだかよくわからないが、山を舞台とした放浪の旅という当時やりたかったスタイルの記録であり、noteにも転載して残しておくことにした。明らかな間違いもあるものの、当時の記述をそのままとしている。文章だけだとわかりにくいので当時山行に使用した地形図、取っていたメモからの行動記録を附した。末尾に記憶にある範囲での装備や記述の間違いなどの注釈を加えた。(2022年記)


計画・概要

メンバー:
単独行

山域:
奥利根湖西部地域
谷川〜巻機の上越国境稜線と奥利根湖の間
(1/25,000地形図「奥利根湖」「藤原」「茂倉岳」「巻機山」あたり)

最大の計画:2001/7/24~8/14
宝川温泉から入山、奥利根湖西部山域、平ヶ岳〜尾瀬口
登高下降ルートは定めない
基本的に上越国境稜線には上がらないが適宜ERとして活用

実際の行程:2001/7/24~8/1
宝川温泉〜布引尾根左稜1350ベロ南尾根〜雨ヶ立〜布引山〜布引山北尾根〜矢木沢横断〜家の串南尾根〜刃物ヶ崎山東南稜〜刃物ヶ崎山〜日向倉沢左岸尾根〜矢木沢ダム

報告概要:
ここ23年暖めていた山行に行ってきました。ルートは上記の通りですが、おそらく地図も何も無しには分かる人 などいないかもしれません。或いは、そのようなものがあっても分からないかもしれません。とりあえず、雰囲気や考えていたことだけでも伝わってくれればいいと思い、文章にしました。長いので、どうか暇で暇でどうしようもないときの暇つぶしにでもなればいいと思っています。


行動記録

7月24日

8時39分上野発高崎行きの電車に乗る。荷物は重い。なんせ米6kg、行動食のフルーツグラノーラ(コーンフレーク)5kgなど、食糧関係だけで20kg近くあるのだ。それにテントや服やロープやヘルメットや加わって、おそらく40kgは越えているだろう。行動時にはこれにさらに水が増えるので恐ろしくなる。蛋白源にと思っていた粉末プロティンや麦わら帽子を忘れてしまったことをむしろ感謝しながら、窓から快晴の空を見ていた。

宝川温泉から平ヶ岳まで、奥利根湖の周りを国境稜線に上がらずに枝尾根の藪を漕ぎ沢を横断して尾瀬口に下りる、最大22日間の単独藪縦走である。しかしその計画は絶対的なものではなく、気の向くままに気の向くだけ山を放浪するのが今回の山行の目的であり、予定コースや日にちはあくまで最大でもここまでという途方もない枠組みに過ぎない。

今まで大学ワンダーフォーゲル部に所属し、藪や道、沢、雪稜、山スキーなどいろいろな形の山行を行ってきたが、どのようなものをやっても本来「渡り鳥」が持っている「自由さ」とはほど遠いと感じていた。ネマガリタケの濃い難関藪コースや、奥深い秘境の山旅気分が味わえる沢など、そこにある自由さはあくまで作り物のイメージでしかなく、毎日重いザックを背負い歩く姿には、既成の自由さの掌で踊らされている悲壮感すら漂っていた。

今回の山行のねらいは、いわゆる山登りとは違ったものがしたい、ということである。気の向くまま足の向くまま歩き或いは歩かずに、ぼうッと時を過ごす。 山を舞台に放浪することがその目的である。そのねらいと遭難対策などとの兼ね合いで、行動範囲を定めた。いくらなんでも22日も歩けば満足してしまうだろうということから日にちが決まり、22日歩いても歩き尽くせないくらいの範囲を設定した。22日も入るため荷物は自然重くなるので、沢を利用することは難しいので主に藪を漕ぐことにし、一応歩く尾根を選定した。しかし、それらはあくまで目安に過ぎず、行ったときの状況気分に応じた放浪をするのである。

7/24 初日

宝川温泉で身支度を整え、林道を歩き出す。一応今日の目的地は板幽沢の出合い付近。そこから布引尾根左稜にまずは上がろうという考えだ。

何度かここは訪れたが、今回の宝川の水量はかなり少ない。しかしそれにしては何故か濁っている。その疑問は板幽沢に着いたときに解けた。ショベルカー数台による工事が行われていたのだ。以前川崎精雄さんの本で読んだ猫幽の岩室を探してみようと思っていたが、工事の様子を見て諦めた。目的も何もわからないので工事自体をどうこういうつもりはないが、個人的に自然を放浪するために来たその一泊目にガガガガ音を聞きながら食事をするのは興ざめだった。(※1)

今回の食事は朝晩米一合昼コーンフレーク1袋で、晩飯にはカレーかシチューか味噌の汁が付くものにした。もともと食事にはそれほどうるさい方ではないので欲求不満をため込むほどの我慢をせずに済んだが、それでも22日分で20kgちかくになっているので、もっと工夫の余地はあったかもしれない。(※2)

そんな事情とは全く別の理由から、山に入って記念すべき最初の食事を作り終えたとき、俺は愕然とした。なんと間抜けなことに食べるものを忘れてきてしまっていたのだ。いつもは箸やフォークは無しでスプーンだけ持ってくるのだが、そのスプーンを忘れてしまったのだ。小さな100円ショップでも手に入る鉄の破片を、今なら1000円出してでも買うだろうと考えたが、 当然だれも売ってくれる人はいなかった。枝をお箸にしたり、太い枝をスプーン型に削り出したり色々試したが、結局コッフェルの取っ手に針金を巻き付けたものが一番しっくりきたので、それとてスプーンに比べると100倍不便だったが、山行を通じてそれを使用した。最後の頃は当然のように使いこなしていたので、やはり人間の文明生活なんて所詮は相対的なものだと実感した。(それでもやはり便利なので次の山行にはスプーンを持参するつもりであるが)

7月25日

まず、板幽沢と初沢の間にあった踏みあとをふらつきながら辿る。かなりしっかりしたもので登山道のようである。そこから布引尾根左稜1350ベロ南尾根 (仮称)に、取り付きを西から回り込むようにして乗る方針だ。ところが、水6lを積載した超重量ザックのせいかなかなか濃い植生と急登のせいか、一時間ほど歩いても25万図で1cmも進まず、高度も100mも上 がらなかった。しかし、ゆっくり歩いても誰に叱られるわけでもないので、のんびり亀足を進めるうちにわずかずつ高度はあがっていった。

7/25 2日目

一度休憩のためにザックを降ろすと、丁度ザックの下に熊の糞があり、怖さは感じなかったが、東京とは違う世界に来たことを感じた。青空が濃く風が吹き、西側が切れたところからは2年前訪れた布引山南尾根(仮称)の四つのピョコが懐かしい顔を覗かせ、爽やかである。

ゆっくり歩き、とか、爽やか、とか表現しても、歩いている最中の顔はおそらく汗まみれで歪んでいてとても暑苦しいものだろうけど。

11時過ぎにようやく布引尾根左稜に突き上げた。そこは、高いブナの木に低い笹原が広がる藪こぎの対象としてはかなり薄く天国のような場所であった。時間もあるので天場はもう少し先にしようと思ったが、30分ほど進んでもそれ以上によい場所は現れなかったので、引き返して天国に泊まることにした。

多少の大雨(形容矛盾ではあるけれど)にも耐えられるように、今回はシュラフを削った代わりにテントを持参した。夕立が来ても濡れないように荷物を中に入れ、芦沢の支流に水を汲みに下降した。せめて二人いれば、テントを張ったり水を汲んだり飯を炊いたりする作業が同時に出来、効率よく時間を使えるのだが、独りなので恐ろしく時間がかかる。

この日は焚き火で炊いた飯が真っ黒に焦げてしまったが、自分のせいでもあるし、怒りをぶつける相手もいなかったので、沈み行く太陽に「アホゥ」と叫んで 平らげた。木霊が俺に「アホゥ」と言ったので、妙に悲しくなったが、しかたなく納得した。


7月26日

今日も朝靄はあるものの、晴れそうである。雨ヶ立に立つつもりで出発したが、小一時間もしないうちに息が上がり汗がナイアガラになり、気が滅入る。相変わらず空と風だけが気持ちよい。自分で選んだこととはいえ、苦行をしているようで、自分の選んだ行為に疑問が湧いてくる。

途中からはっきりした二重稜線になり、歩きやすい部分を野生の勘を頼りに探りつつ進む。但しその勘が当たっているのかどうかはわからないので、一歩踏み出すのに一分以上かかるような濃い部分に当たっても、さくさく進める部分に当たっても、自分がどのくらい野生に適応しているのかは判じえない。

そうこうしているうちに雨ヶ立に着いた。大きく減水した奥利根湖が望まれ、上州武尊や至仏、奥に燧を挟んで平と眺める。

雨ヶ立から布引山を目指して今回初めての下りにかかる。尾根から落ちていかないよう気を配りながら北側の薄い笹原を繋げていく。途中はげたところから、矢木沢を挟んで向かい側に当たる、家の串や刃物ヶ崎山が見えていた。その奥にも山々が連なり、これら一帯を自由に駆けめぐって良いのかと思うと、心が沸き立った。(実際にはのろのろ重さに喘いでいるだけだが)

7/26 3日目

夕立がありそうな予報と空だったので、結局1626ピョコの手前にサイトを張り、東メーグリ沢にさっさと水を汲みにいった。

この晩から、熊やカモシカといった野生動物の影に脅えだした。何でもない物音が何かを表しているように感じられ、それが想像力と結びついて、心細さを煽るのである。この晩はラジオをつけっぱなしにし、鉈を握りしめ、眠れない夜を過ごした。

夜半から雨が降り始めた。

7月27日

朝起きてみるとまだ雨が降っているし、昨日よく眠れなかったし、急ぐ旅でもないので、とりあえず二度寝を決め込む。目があいてから朝御飯を作って食べたが、なお雨は止まないので停滞とした。

僅かなしとしと雨のために停滞するのは怠惰な気もしたが、そう考えること自体が常に前進しつづけなければならないという強迫観念に取り付かれた病的な考えにも思えた。自分が自分のために山で放浪しようと来ているのだから、全然気に病む必要はないはずなのだ。それでも心のどこかが痛むのは、秒分単位でスケジュールを管理される都会生活に慣れすぎてしまっているからだろうか。

この日のメモ 2:30には停滞を決めたらしい

独りで小雨の中テントで寝ていると、本当にいろいろな音が聞こえる。鳥だけでも明らかなウグイスから「ヒヒヒヒヒヒヒホヒホヒホ」とか「ツェッツェッツェッ」とか数種類、虫の羽音にも高いのから低いのからあるし、雨だれから風が揺らす笹や木の葉から、いちいち書きとめてみるとあっという間にノートがいっぱいになるほどある。なかに「ブホホホ」と聞こえる音があっ て、昨日の夜熊が鼻を鳴らす音のように聞こえて脅えていたのだが、それがテントとフライの間に入った大きな蛾の羽音と気づいたので、声を上げて笑ってしまった。

7月28日

雨はまだ上がっていなかったが、さすがに丸一日テントの中で過ごすと鈍るのか、体が行動を欲していたので、今日は行動日とした。布引山を越えて布引山北尾根(仮称)から矢木沢に下りる予定だ。曇るという予報や、下りたところが川原ということから、いい加減荷物が重いので担ぐ水の量を減らして出発した。

布引山の手前ですっと高い木がなくなり、視界が広がったが、あいにくの天気のため、何も見えない。せいぜい周囲10mくらいしかわからない。布引山は一度来たことがあるので、とりあえず見覚えのありそうな小高いところで別にどこでもとれそうな写真を登頂記念に撮り、下りにかかる。

藪の下りは想像以上に緊張するもので、殊にそれが単独となるとかなり神経を使う。尾根をはずしたり違う尾根に乗ってしまうと、仲間と相対的な位置関係から状況を把握できないので致命的な状態に追い込まれる可能性がある。特に今回は視界がほとんど効かないので、地図とコンパスをじっくり眺め、少しでも高いところに登りながら低いところを目指すといういささか矛盾した行動になるため、登りのような体力的なしんどさはないが登り同様の心理的負担と時間がかかる。

一度コンパスを逆に振ってしまい(つまり180度反対を目指すかたちになった)、10分くらいリングワンデリングしてしまった。ややパニックになったあと、落ち着いて考えるとすぐに原因が分かったのだが、少しでも焦ってはいけないと痛感した。

落ち着いてやると、さすがに大学ワンゲル部時代藪を漕ぎまくっただけあって、はずさずに狙いどおりぴったり下って行けた。さらに幸運なことに途中からは視界も開けてきて、尾根ならぬ尾根からコンパスを頼りに50mほど下って尾根にのる1400mの注意ポイントを迎える頃には、隣の尾根の形から現在地が 認識できるようになっていた。

ところがこの小尾根が思わぬ手強い尾根で、松の大木と石楠花が密生するため、尾根は痩せて小ギャップが連続するようになり、強引に飛び降りたり少し巻き気味に下ったりかなりの苦労をさせられた。

地形図から見るとそんな痩せた急な尾根には見えなかったので、地図読みに失敗したかとも思ったが、木々の間から見える家の串や刃物ヶ崎山の位置からして間違っていないので、逆に混乱した。一ヶ所ほぼ垂直に近いところを強引に灌木につかまりながらずり下りていたとき、下部がオーバーハング気味になっていて、落ちるようにして降りる部分があり、この尾根の登り返しの困難さを次第に強く感じ、何とかして下りきるしかないと思った。

折しも小さな台地状の下草のない平らなスペースがあったのでザックを降ろし休んだ。

眼下には目指す矢木沢の平らなゴーロが望まれ、それは水の音が聞こえるほどの近さだった。さらに尾根のカーブの具合からいっても高低差はあと200mくらいだった。荷物の重さがかなりの負担になっていたので、ここで担いでいた残り2l程の水を500ml残して捨てることにした。これで少しでも身軽になって強引にでも降りきってしまおうという作戦だった。時間は午後2時過ぎ、日暮れまでにはかなり間がある。

そう思って出発したのも束の間、尾根は再び急になり壁状になった。そして視界が開けたと思うと、ほぼ垂直の岩場の上に体が飛び出した。正確に言うとそこが岩場であるとかそういうことは全くわからなかったが、只今両手後ろ手で石楠花をつかんでいるがこれを放したら少なくとも5mは体が落下するだろう、ということだけはわかった。冷や汗がどっとでた。勢いよく飛び出た体をよく止めたものだととりあえずの無事を感謝しながらも、登り返すには壁のような斜面に密生した石楠花をほとんどクライミングのようにおもりを担ぎつつ這い上がらなくてはならない。

ひたすらパニックになったり諦めたりしないように気を配りながら一歩一歩手や足や頭上50cmのザックにからみつく石楠花を払いつつずり上がる。火事場のくそ力とはこのことかと思うような力が不思議と湧いてきて、もとの平らなスペースまでなんとか戻った。

その時のメモ

とりあえず、一息つき状況を整理する。今のところを下降するにはロープを使用する必要があること、登り返すのはほぼ不可能とも思える労力が必要で、しかもいずれにしても水が残り500mlしかないこと。念のため側壁側も偵察してみるが、尾根状よりもやは り悪そうだと結論がつき、このスペースで一晩明かし、翌日一日かけてゆっくりとロープを張りながら下降することにした。

なんとかテントが一張り張れるスペースだったので、テントを張り、小さな焚き火を起こした。水がないので飯を作ったりすることはできないが、濡れものを少しでも乾かすことには意味があると思った。そして何よりも火を見ると心が落ち着いた。

7/28 5日目

7月29日

ゆっくり休み眠ることで、心の平安を取り戻し、落ち着くという目的はほぼ成功しており、朝になると妙に腹が括れたように感じられた。それでも水をちびちび飲み、行動食のコーンフレークを朝飯代わりに喰っていると、そこはかとなく不安がよぎった。ギャップの繰り返す尾根を登り返すことは(特に残りの水の量を考えると)無理だが、ここからロープさえ張れば確実に下れるという保証もない。たまたま通りがかった人に助けられる可能性もないし、朽ち果てた後発見されることもないだろう。記録未見の藪尾根に独りでいることから来るプレッシャーを全身に浴びていた。晩飯朝飯合わせて一袋のコーンフレークをざらつく喉を通して強引に腹に収めたが、果たして消化してエネルギーに変えられているのか疑問であった。

とりあえず急がず焦らず気力が戻るのを待って行動を開始する。空身でロープをフィックスし、登り返してザックを担いで下り、再び登り返して空身でロープを回収する、ということを繰り返すことにして、まず1ピッチ目のロープを張りに行く。7mmとはいえ40mロープを補助として持ってきていたので、それをダブルにする。昨日の壁は微妙な尾根の分岐点であった。慎重にルートを見極め、なるべくブッシュの多いリッジ状を選んでロープを張った。

その後10m程度低い針葉樹の生えた細いリッジを進むと再び尾根は急に下り、壁状になった。1ピッチ目の終了点を活かして釣瓶式に2ピッチ目とし、また慎重にルートを探りながら空身で下降する。しかし今度はさっきの壁どころではなかった。完全に岩が露出した岩壁が5mほど途中にある、10mほどの垂壁になっていたのだ。登り返す作戦はとれないと判断、懸垂下降に切り替える。目測で全部で15mほどなのでロープの長さはおそらく足りるはず。しかし、ロープは細い7mmのため、ザックと自分同時に降りるのは不安だ。そこで、まずロープにザックを付け荷下げした後、空身で自分が降りることにした。仕方がないがシュリンゲ1本とカラビナ1枚は残置。

重いザックをつりながら降ろす。やがて手応えが変わり、ザックが地面に届いたことを確認できた。続いて自分も懸垂下降に移る。ダブルのロープをひっくり返して使っているので、8の字結びの末端が上に来ているのがブッシュの中うまくすり抜けられるのを確認し、きつく結わえたチェストハーネスのカラビナにハーフクローブヒッチをセットする。

降りる最中どんどん出来るキンクに一抹の不安を覚えたが、これ以上の装備はないので構わず降りる。

下部2mほどはハング気味になっていた。

尾根状から5mほど下の台地上に止まっていたザックを回収し、尾根上の安定したところまで進み、ロープを回収しに戻る。ところが、ここで問題が起きた。8の字結びの結び目のためかハーフクローブヒッチで出来たキンクのためか、ロープが引っかかって回収できないのだ。仕方なくロープを引っ張れるだけ引っ張って切断した。8の字結びを上にしたことで、不幸にも回収不能になったかもしれないが、幸運にも手元に1本の20mロープが残った。とりあえずそのことを幸運と解釈してよろこんでおくことにした。

その後の下りは一ヶ所長いギャップがありロープを出したが、それ以外は苦労はするものの、今日の出だしの壁に比べればプレッシャーもなく下れた。残り50mほどのところで矢木沢に釣り師の姿を見た。六日ぶりに見た哺乳類だ。

少し会話を交わしあきれられた後、水に飛び込む。一気に何リットルも水を飲む。見えていたが手の届かなかった水が目の前にある。解放された感じもある。食欲も戻り、コーンフレークを一気に平らげ、また水を音をたてて飲む。しばしとき放たれた余韻に浸った。

7/29 6日目

冒頭にも書いたように、今回の山行(山行というより旅)は、自分が放浪するためにやっていることであって、何か達成しなくてはならない目標を出来るだけ作らないようにしてきていた。そして、今し方下ってきた尾根の事前の予測と実際とのあまりのかけ離れぶりに、俺の山にいたいという欲求は薄れてきていた。いや、むしろ早く帰りたいと思うようになっていた。俺のやりたかったことは気ままに放浪することであって、心身共に削るようなエキサイティングな登山ではない。無事に矢木沢に降り立った自分を誰にともなく感謝しながら、次第にその思いを強くした。

次に俺のとった行動は空身で矢木沢の下流部を偵察することだった。地形図で見ればかなり穏やかな平流のまま利根川に注ぐこの支流を下れば、下界に帰れる、そう思った。

また家の串に上がるルートもまだまだ検討の余地があった。事前に考えてきたルートは、地形図で見ても針葉樹マークが入り、見た目も布引山北尾根にそっくりだったためである。取り付きやすそうな傾斜のないブナ林を登りたかった。もう松と石楠花にはうんざりだった。

こういう表現自体完全に自主性に任せた山旅を志向する身に取ってみると非常に他人を意識していて矛盾するのだが、「恥ずかしながら」それよりももう帰ってしまおうという思いが強かった、と思う。

しかし、実際の矢木沢は両岸切り立ったゴルジュの中に激しい滝をかけており、高巻きを要求されるようだった。それを見て俺は、期待が裏切られた思いを抱くと共に、どこかほっとしていた。心の隅に残っていた、この2日間ひたすら曝されたプレッシャーに押しつぶされた、山にいたい、という気持ちが再び持ち上がってきた。ロープを出せば高巻いて帰ることもできるが、とりあえずそうはせず、家の串に上がって、それから先を考えよう、家の串から矢木沢ダムに下ればいい、そう思い、家の串への登路を探しながらザックを置いてきたところに戻った。

7月30日

結局ゴルジュの中の滝のしばらく上流の砂州で豪勢な焚き火と多目の食事をとってみると、家の串に上がる気力はますます強くなってきていた。しかも久しぶりに朝からの快晴だ。家の串南尾根の悪沢右岸の斜面を久しぶりに握るミヤマナラに懐かしい感慨を抱いて力強く高度を稼ぐ。太陽はきつく照りつけるが、まとわりつくようなプレッシャーのない分気持ちがよい。サラサラした汗を大量に流しながら、大量に担いでいる水をぐいぐい飲む。のどごしが気持ちがよい。小キジの量も増え、色も赤茶けた黄土色から幾分透明感を取り戻してきた。時々笹やナラや太いブナに体やザックを預け、この矛盾した爽やかさこそ藪こぎの醍醐味だと思った。

家の串に上がると、大量にトンボが飛んでいる。見回す中に岩場を懐に抱えた刃物ヶ崎山があった。この旅の間中幾度も現在地確認に使われてきた山だ。

目の前に立ち、続く尾根を確認すると、矢木沢ダムに下るつもりなど吹っ飛び、猛烈に刃物ヶ崎山に行ってみたくなった。あとは体が自然に東にコンパスを切っていた。(※3)

7/30 7日目

7月31日

刃物ヶ崎山から北へ抜けてコツナギ沢へ降りることはロープも短くなっているし、布引山北尾根との地形図上での対比からかなり困難に思われた。また檜倉へ抜けるルートも、刃物ヶ崎山に登るところがかなり苦労しそうだった。さらに、まだ間近で見たことがない奥利根湖矢木沢ダムを見てみたいという気持ちがあったため、今日はベースキャンプからのアタックとして、一応明日の下山とした。

7/31 8日目

昨日ジロウシ沢三の沢から14lもの水を汲んであるので、水汲みの時間を気にせずたっぷり一日行動できる。嫌なところがあればすぐにロープを出そう、特に刃物ヶ崎山の手前では一度くらいは使うことになるだろう、と考えていた。天気も良いし、今山行中唯一地形図にも名前がある山に登れるとあって、かなり気分良く家の串の肩を後にし、刃物ヶ崎山東南稜を辿る。植生はさまざまで松の下草に石楠花という憎いタッグも多かったが、幸い尾根は寝ていたので、せいぜい1m程度の小ギャップをこなすだけでなんとかなった。

近づくに連れて東南稜の様子が見えてくる。3~4ヶ所程度露岩帯がありそうに見えた。ここだけは以前クラブの上級生が2つ目の露岩帯まで行ったことがあり(※4)、だいたいの事情は聞いていた。二つ目の露岩帯を越えるとすぐ頂上である雰囲気だったということだ。実際見てみるともっとあるように見えたのだが、特に深く考えず、ただ出てきたものに落ち着いて対処すればよいとだけ考えながら藪をかき分け進んだ。二日前の悪場をこなしたが故の冷静さだろう。

このあたりで今回初めて踏みあとに出会う(※5)。とぎれとぎれではあるが、さすがに(ここらあたりでは)有名な山だけあると感じているうちに第一の露岩帯に来た。

リッジ上にざらざらした砂が乗っているような感じで、傾斜が緩いので特に問題なく進む。踏みしめられていれば南アあたりにもありそうな場面だ。

続く岩場は高さ15mほどの岩のリッジ。フリーで行くのは怖かったので南側の基部を20mほどトラヴァースして藪を強引につかみ上がって巻いた。さらにすぐに規模は少々大きいが似たような岩場があり、同様に南をトラヴァースしてかなり急な藪を登って巻いた。4つ目は大きな岩がどんと稜線上に乗っている感じで、これは北側南側両方行けそうだったが、北側からルンゼに入って木登りの要領で超えた。いずれもかなり高度感があり、緊張させられるもので、下りはずいぶん苦労するように思われた。

その後は頭がでる程度の灌木藪を漕ぎ抜くと、すっとピークに出た。結局登りにロープを使用することはなかった。

頂上は三角点もすぐに見つかり、膝程度の藪しかなかったので、しばし周囲を眺めて過ごした。来るべき下りに緊張しながら、登頂の喜びを赤布にしたため頂上近くに打った。(※6)

登りにかなり強引に登ってきたため、下りは懸垂下降を連発するかもしれないと思い、6mmの細引きを切ってあらかじめ捨て綱を作っておいた。よほど悪場に参っていたのだろう、全ての岩場で頭まで行ったり一二往復して状況を見極めルートを探っていった。結局下りは4つ目の岩場を逆から巻いた以外はほぼ同じルートから藪伝いに降りられた。登りは緊張して腕に力が入りすぎていたのか急に感じた部分も、下りは楽なものだった。

第1〜3露岩帯 メモ
第4露岩帯 メモ

最初の露岩帯で一息つき振り返って今し方登った山を見る。緑が光を浴び、空の濃い青との境目を見つめていると、どちらが手前でどちらが奥かわからなくなってくる。

8月1日

入山して9日目。追いつめられたりよろこんだり色々あった。山での放浪は自然と終幕を迎えようとしていた。山に来て藪を漕いだことも、この下山の決意のこともごく自然なことに思えた。たとえ残りの日数やコースが半分以上残っていようと、満足できたのだからもう良かった。

山登りは結局、この自己満足がやってくるかどうかにかかっている。外から見ると放浪というほどの日数や距離を歩いていなくとも、布引山北尾根で苦しめられたり、いくつかの些細な場面に感動を覚えたりするうちに、僕の体を離れて彷徨っていた心が再び帰ってきた感じがしていた。何となく山にいたいと思ったり帰りたいと思ったり繰り返すうちに、どこかを一周してきたようで、帰るときが来たと告げていた。それがきっと自己満足ということなんだろう。

日向倉沢の左岸の尾根を辿ると途中からかなりしっかりした仕事道が現れ、すんなりとアスファルトの道路に降り立つことが出来た。そこからの林道では、やり遂げたという満足感や達成感や安堵感はなく、何か大きな旅の途中でした寄り道からの帰り道くらいにしか思えなかった。

観光客に混じってひととおり矢木沢ダムを眺め、もはや見えなくなった訪れし山に思いを馳せながらきつい日射しの中ザックを背負う。とりあえずどこか獣の臭いを落とせるところまで歩く必要があるなと思った。一体後何キロ車道を歩かなくてはならないのだろう。でも、奇特で親切な釣り師のおっさんが、特にこちらからアピールしたわけでもないのに、頭上30cm突きだしたザックを背負った髭面の男を、途中温泉に浸かりつつ水上まで乗せてくれたので助かった。

8/1 9日目

おっさんは暑がってクーラーを入れていたが、自分でも耐えられないほどの臭いを発していた俺は、気を使って板挟みになりながらも、結局窓を全開にした。吹き込む強い熱風と流れ行く風景が顔を叩いた。そうして、普段の時の流れに帰っていった。

全行程 山域




食糧・装備(記憶しているもの)

食糧

・米42合
・フルーツグラノーラ22袋(1袋あたり200g程度だった記憶)
・カレールー8食分(具なし)
・シチュールー8食分(具なし)
・出汁入り味噌チューブ8食分程度(具なし)
・紅茶、砂糖適宜

衣服

・ダクロンラガーシャツ(モンベル)
・サムエパンツ(モンベル)(※現行モデルのサムエパンツとは別物)
・ゴアテックス雨具上下
・フリース
・毛下着上下
・手拭い
・軍手(予備あり)
・メガネ(予備あり)
・靴下(ウール厚め2重)
・重登山靴(カモシカオリジナル)
・ザック(ロウアルパイン120L)
・ポリタンク/折り畳み水筒/ペットボトル(たぶん14L分はあったのだろう)
・下界服

装備

・テント(1〜2人用、フライあり)
・シュラフカバー+インナーシュラフ(シュラフ本体は持参せず)
・ヘッドランプ
・コッヘル(モリタのビリー缶もどき小)
・ライター
・ベニヤ板
・EPIバーナーヘッド、ガス缶大2程度
・キジペーパー
・ナイフ/コンパス/笛(それぞれ予備あり)
・地形図(予備コピー3ずつ)
・ヘルメット
・7mm40mロープ
・シュリンゲ適宜
・カラビナ適宜(下降器・確保器は持参せず)
・針金/ガムテープ/タコ糸/裁縫道具など装備修繕道具
・携帯電話
・カメラ
・非常用パック(救急医療品など)
・竿+毛針(記録には書いてあるが出した記憶がない・・)

他にもあった気がするが、記憶の範囲で


コースタイム・メモ

7月24日

12:20 宝川温泉着(水少なし)12:35発〜13:18 トンネル 13:28発〜14:05 板幽沢〜14:20 後沢出合上 C1

7月25日

晴れ
5:00 発〜5:40 980m付近 6:00発〜6:45 1050m付近 7:00発〜7:35 1150m付近 7:45発〜8:20 1230ベロ 8:45発〜9:40 1290ベロ 10:05発〜10:35 1320m付近 10:50発〜11:25 1350m布引尾根左稜に突き上げる 尾根の北側は低いササでメチャ薄 天国じゃ 11:35発〜11:55 1370m撤退決定 12:00発〜12:15 突き上げ場所1350m C2
水汲み 芦沢支流(970mで合流)13:05発〜13:25 水場 13:45発〜14:25 C2

7月26日

晴れ 夜半から雨
4:45発〜5:20 1370m 5:35発〜6:15 1400m 6:35発〜7:15 1430m はっきりした二重稜線、左を行く ササ主体でやや楽になった 7:30発〜8:10 1480m 8:30発〜9:00 1500m 大木の生えるピョコ 手前はゼツカンボク3〜4級 9:15発〜9:55 1510m付近 ササ+低灌木 4〜5級 いよいよ雨ヶ立が見えた 10:15発〜10:50 1540m 11:05発〜11:55 1610m 12:10発〜12:25 雨ヶ立ピーク 展望がある 平燧至仏ホタカ笠など見える 12:50発〜13:50 1570ピョコ西コル 14:05発〜14:30 1626手前 C3
水汲み 東メーグリ沢右股左沢 15:05発〜15:15 水場 15:25発〜15:40 C3

7月27日

曇 時々雨
終日停滞 C4

7月28日

曇 時々雨 のち晴れ
5:00発〜6:30 布引山 6:50発〜7:40 1590m付近 7:55発〜8:45 1550m付近 9:00発〜9:50 1480m付近? 10:05発〜10:55 1460ベロ先 左うすいが腰 つらい 11:10発〜12:20 1420ベロ 濃く細い視界がわずかにでた 雨もパラツク 12:35発〜13:10 1300付近 大木ありうすい13:25発〜14:40 1108 かなりヤバイ岩場2ヶ所 14:50発〜 15:20 1108行動終了 明日ロープを使用して下降する C5

7月29日

晴れ
6:00発 最初Fix ダブル1p すぐにけんすい15m ロープ切断 しばらくしてFix 1p 9:30 1000m付近 スギ・シャクナゲ地帯 おわりそう 水のむ 9:45発〜10:20 矢木沢に降り立つ 11:00〜12:00 ていさつ 13:20〜14:20 天場移動 C6

7月30日

晴れ 夜夕立
5:20発〜6:05 950m付近 6:20発〜7:05 1050m付近? ブナにササなど1〜3級 7:25発〜8:15 1200m付近 ブナ+ササ+ブナ幼 2〜3級 8:30発〜9:20 1350m付近 9:45発〜10:30 1420m 一瞬スギ+シャクナゲがあったがまたブナ+ササ 今日ベースにして明日ハモンアタックはどうだろうか 10:45発〜11:30 1470m 11:45発〜12:35 家ノ串西峰 13:00発〜13:30 1520ベロ C7
水汲み ジロウジ沢三ノ沢 14:20発〜14:40 水場 15:00発〜15:35 C7

7月31日

晴れ
4:55ベースキャンプ発 ハモンがよく見える 朝霞がかかるが晴れ〜6:15 最低コル付近 6:25発〜7:10 1460ベロ付近 7:20発〜7:40 第1岩場下 7:45発〜 1.余裕のザレ 2.左まき 3.左まき 4.右まき 〜8:30 刃物ヶ崎山登頂 9:25発〜10:00 岩場下 10:30発〜11:10 1460ベロ 11:25発〜12:15 1470ベロ 12:30発〜13:10 ベースキャンプ C8

8月1日
曇 時々晴れ
5:10発〜6:10 家ノ串東峰 6:25発〜7:05 1390ベロ 7:20発〜8:15 1320ピョコ 8:30発〜9:15 1050付近 RFPより明らかな踏み跡あり くもってきた 9:30発〜10:20 ヤブ抜け?  林道へ 10:35 車道へ 10:45〜11:35 ダム見学 11:45発〜12:10 釣り師のおっさんにヒロワレル


2022年から見ての注釈

※1:川崎精雄「雪山・藪山」元々は茗渓堂から出ていたものを中公文庫が復刊させていた。この本に限らず、昔の中公文庫は登山関連の名著が多くラインナップされていて1990年代後半でも古本屋を漁るとたくさん見つかったものである。現在はヤマケイが復刊させているようだ。ありがたい。

※2:行動食のコーンフレークはカルビーのフルグラ1種類だった。すべて針で穴を開けて空気を抜いてテープ留めしてとにかく体積を減らして持参した。晩飯のカレー・シチュー・味噌汁は、それぞれルーと出し入り味噌を湯で溶くのみで具は一切なし。栄養補助で粉末プロテインを買ったが結局持っていくのを忘れた。ビタミン剤も買ったがこちらは最終的に削った。明らかに栄養不足で、手足の爪のうちこの時期に伸びた部分は薄くなっていた。

※3:刃物ヶ崎山は西にあるのでコンパスを切るとしたら西のはずなのだが、なぜか東と書いている。なぜだろう?

※4:八木沢ダムから日向倉沢左岸尾根経由で刃物ヶ崎山往復という計画だったが2箇所めの露岩帯で事情により敗退していた。知る限り無雪期に藪尾根から刃物ヶ崎山を目指した唯一の記録。

※5:無雪期の刃物ヶ崎山の記録は上記クラブの未遂記録と今回のものを除くと、沢登り以外見たことがない。踏み跡は動物のもの、沢、残雪期に雪庇を避けて歩いたものあたりであろう。

※6:同じ夏、10日後くらいに所属クラブの後輩が檜倉山からピストンという計画をしているのを知っていて彼らへ向けてのメッセージを残した記憶がある。結局その計画も山頂まで500mあたりの地点で敗退したので、このメッセージが誰かに読まれたのかそのまま朽ちたのかはわからない。

サポートありがとうございます! 次のおもろい文章という形でお返しできるようがんばりますね