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山崎断層帯について


東京帝国大学教授で地形学者の辻村太郎氏が、山崎断層の存在を指摘された。そして、山崎断層が活断層であると世間に広められたのは大阪市立大学理学部教授藤田和夫氏(当時)であろう。
藤田和夫教授は、近畿から中国地方にかけて断層を調べていた。地図を見ていると、普通、谷沿いに道路がつくのに、谷筋・尾根筋を横切りながらの直線道路があるのに気づいた。不思議に思い、航空写真を見て地形を調べたところ、左横ずれ断層の変位地形を見つけられたのだった。しかも、この左横ずれ変位地形は宍粟郡山崎町(現宍粟市山崎町)から岡山県那岐山の北側まで直線状に伸びていることがわかった。そこで、1968年(昭和43年)に藤田教授は「山崎断層」と命名し、現地を踏査したが、断層破砕帯とみられる露頭(地表に露出しているところ)はわずか2か所しか発見できなかった。この地域はすでに中国縦貫道(現中国自動車道)の路線に選定されていたので、この高速道路の建設が始まった時、工事現場を調査すると、断層が次々と見つかることとなった。


 

図1 山崎断層帯を構成する断層(活断層研究会 1991より)

 
その後、山崎断層に関する論文は大学や研究機関から多数発表された(例えば、山崎断層研究グループが1988年6月に62編の論文を収めた山崎断層研究論文集)。
平成7年度以降、兵庫県が山崎断層を総合的に調査した結果、図1のように山崎断層は1本ではなく7本の断層(大原(おおはら)断層、土万(ひじま)断層、安富(やすとみ)断層、暮坂峠(くれさかとうげ)断層、琵琶甲(びわのこう)断層、三木(みき)断層、草谷(くさだに)断層)から成り立つ、全長約80kmに及ぶ日本有数の活断層であることがわかり、「山崎断層帯」と名付けられた。(山崎断層系といわれたこともあった)草谷断層以外は、左横ずれが卓越している。土万断層・安富断層が山崎断層帯の主断層であるが、主断層の北東側は山地高度が高いことから左横ずれと同時に縦ずれも認められる。
 ちなみに藤田教授の祖父は姫路市に住んでおられ、お墓も姫路市内あるとのことである。


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