見出し画像

治療に人生を捧げた私の歴史【小田原・箱根 修行編】

専門学校を卒業後に、「はり・きゅう・あん摩マッサージ指圧師」3つの国家資格を取得後、「日本伝統鍼灸流派:経絡治療」を全国的にも有名な先生から学ぶために神奈川県小田原市に21歳で一人暮らしを始めました。

鍼灸マッサージの国家資格は、筆記試験しかありません。ですので、鍼灸マッサージ系の学校は合格率◯◯%と謳って学生を募集するために、座学を中心にカリキュラムを構成する学校が圧倒的に多いのです。

ですので、「国家資格を取得しても鍼を刺せない」という先生が多いのが現実。

私は元々器用な方で、卒業時点では結構刺せた方ですが、それでも患者様を喜ばせる治療ができるとは思わず、圧倒的な経験が必要だと「先生からの紹介でしか入れない鍼灸院」へお世話になる選択をとりました。

今では大変お世話になったと思っていますが、当時はとにかく厳しい環境下だと思いました。

思い出すだけで胃がキュッとなりますが、半分自分のために、初心を思い出して整理することも良いかなと考えまして書いてみようと思います。

赤裸々に書こうと思っていますので有料にしますが、共有できる方がいればと思い、興味のある場合はご購読ください。過酷な一日のスケジュールや辛かったこと、初任給の使い道なども書こうと思います。

それでは右も左も業界のことが分からなかった私森田の21歳に遡ります。

専門学生21歳の私

専門学校在学中の20歳を過ぎた私は、圧倒的に需要のある治療師になって開業をすると漠然な目標を立てました。
私は昔から、見本にはなりませんが、最初に自分をとにかくプレッシャーをかけて追い込むタイプです。

・中途半端な技術と知識では家族を養えない
・人を感動させなければ自分に指名はつかない
・どんな接客をすれば患者さんが笑顔になって楽になるのか
・地獄のような思いをしている人を救うためには何が必要か
・失礼な態度は信頼を失うため世間の常識から学ぶ必要がある

こんなことを20代前半で「今何を勉強するべきか、今のままでは絶対成功はしない」と追い込み特に夜間に考え始めて寝られず、胃を痛めていました(笑)

今ではこんなポストをXでしていますが、当時の私が知るべき内容です。

そんな性格は早く直すべきなのですが、テレビ出演や講義などの前には同じようなプレッシャーの掛け方をしながら準備してしまいます。

私自身、10代のサッカー人生では光(活躍)と影(怪我)を繰り返し経験しましたが、「やり甲斐が急に失う辛さ」や「どの位で良くなるのかという不安」を沢山味わってきたので、少しでも「気持ちから」晴れさせることのできる治療師というのは、今でも強く心がけていることの一つです。

基本的には超ポジティブ人間なのですが、何か大きな目標を掲げる初期はこのモードに入り、もう一人の自分をつくって心の中で会議がしょっちゅう始まります。

好きな川口を離れて修行先へ

小田原に行く決心をつけ、大好きな地元を離れましたが働く条件は特別厳しかったです。

ここから先は

3,807字 / 1画像

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

サポートしていただいた資金はより有益で分かりやすい情報発信やサービスができるように還元させていただきます。