叔父さんとの別れ

年も越してしまって天災やら人災の絶えない中、
色々と間が悪くなってしまいましたが。
昨年の個人的に一番大きな出来事を振り返って書いてみたいと思います。

2023年3月17日(金)。
仕事を終えた私は、いつも通り田端の駅を降りて帰路に着こうとしていた。
まだ冬の寒さが残る冷たい夜だった。小雨が降っていた。

携帯電話が鳴った。父からだった。
いつもと違う細い声で丁寧な話し方だった。
前から容体が良くなかった父の弟、つまり
私の叔父が今夜いっぱいかもしれないので今から病院に来てほしいという
要件だった。

叔父は去年大腸がんを宣告され、通院しながら投薬治療していた。
2023年1月頃に千葉県柏のがんセンターに入院してからは
叔父の奥さんが細やかにメールで報告をくれていたため、
親類は皆、特にここ数日間が山場であることを言わずとも分かっていた。

私は急いで駅に戻り、スマホで最短経路を調べながらタクシーに乗った。
運転手の男性に事情を話すと、すぐに飛ばしてくれた。
運転手さんも、母の死に目に会えなかった苦い思い出があったそうだ。
そのまま会話が続き、高速に乗ってあっという間に
最寄りのジャンクションまで運んでもらった。

運転手さんにお礼を言いつつ柏のがんセンターのロータリー付近で降ろしてもらうと、入口前を通り抜けて裏の救急搬送用の通用口から入った。
受付に事情を話すと母が待っていて、病室の階を教えてくれた。
エレベーターで上がって降りた正面エントランスの待合席に
今度は父の兄、つまり伯父さんが座っていた。

”叔父”と”伯父”というワードで混乱しそうだが、
私の父親のきょうだいは4人いて、全員男である。

連絡をしてきた私の父親は三男であるが、
今回危篤になったのは末の四男である。
一番若い四男がこうして病床に臥せってしまったのはみなショックだった。しかも、四男は体力もあったし背丈の高いスポーツマンだったから
なおさら青天の霹靂だった。
特にゴルフはプロになれるぐらい上手かったと周りからよく耳にした。

病室階エントランスの待合席に座っていた伯父さん(長男)が
「よく来たね」と言ってくれた。伯父さんは割と落ち着いているように
見えたがどことなく神妙な面持ちだった。
一度に何人も病室には入れないので、しばらく待っていると
病室から叔父の奥さんの妹が帰ってきた。
私にとっては血のつながってない遠戚である。
挨拶をするとすぐ案内され、廊下を左折した左手に
叔父の病室があった。深夜なので廊下の電気も暗い。
部屋に入ると煌々と電気が点いていた。

最初、私は部屋を間違えたのかと思ってしまった。
それほどまでに、叔父の姿は変わり果てていた。
別人のようにやせ細っていた。
多少肉づきが残っているだけで、もう骨と皮である。
そして体中に管がついていた。

もう経口摂取もできず、ずっと点滴らしい。
私は、何も言葉が浮かばなかった。
不謹慎にもハンターハンターの場面を連想してしまうぐらい
何も気が回らなかった。
目のやりどころに困り、その場にいた奥さんを気づかった。
叔父の奥さんは、ずっと夫の手をつないでいた。
時折、夫の顔を拭いてあげたりしていた。

私も戸惑いながら、出来ることを考えた。
とりあえず、「叔父さんの手を握ってもいいですか」と
奥さんに訊いてみた。
「いいよ」と言ってくれたので、柔らかく握ってみた。
温かったか、冷たかったかもう思い出せないが、
かつての叔父の手ではないのは確かだった。

交代で三男や長男が様子を見に来て、私もずっとその場に留まるわけに
いかないので待合室の席に戻って腰かけた。
ガラス張りの待合室からは、柏のグラウンドが見えた。
とても暗く、相変わらず雨がぽつぽつ降っていた。

私は外を見ながら叔父の思い出をなぞっていた。
わざと、悲しい気持ちになりたいかのように
ひたすら浸って思い出していた。

叔父には子供がいなかった。
甥の私が産まれたときはさぞ嬉しかっただろうな。
ふと、叔父さんへの心からの感謝と、もっと話をしたかったという
惜別の念が混ざり合って涙があふれてきた。
ぽろぽろとこぼれて鼻水で顔がぐしゃぐしゃになった。
その前後で、父や伯父とも待合室で話をした。
父や伯父にとっても、かけがえのない弟であること、
苦楽を共にしてきた家族だったこと、
とても頭が良いのに学費が足りず不憫な思いをさせてしまったこと、
にも関わらず大変出世して努力家だったこと…
そしていつも兄弟間の意見を仲裁するのは末っ子の叔父であったこと…。
インドネシアに長いこと駐在していたが、コロナ禍で中々帰れず、癌の発覚が遅れてしまったのが本当に悔やまれた。

翌朝、叔父さんは旅立った。享年69。
叔父の奥さんはよく頑張ったね、偉いねと泣きながら
安らかに逝った夫に何度もキスをした。
私もそれを見て、もらい泣きしてしまった。

叔父の勇敢さに心を打たれた。
がんの恐ろしさを目の当たりにした。
こんなにどうにもならず、来る日も来る日も一睡も出来ず
痛みに耐え抜いて逝かなければいけないのか。
たった1つの異分子が体内で暴走して増殖したあげく
人間をこうまで蝕んで連れて行ってしまうとは
究極の理不尽ではないか。

その理不尽に最後まで抵抗した叔父は紛れもない
勇者だったんじゃないだろうか。

その後も通夜、告別式と忙しなかったが
叔父さんの臨終を看取ったこの経験は
ずっと忘れることはないだろう。
あのとき、タクシーで駆けつけて本当に良かった。
最期にお別れができて、本当に良かった。
叔父さんの甥で、本当に良かった。
ただ、もっと教えを乞いたかった。

光の矢のように、時は過ぎていった。
当時の感傷もすっかり思い出になってしまったが、
決して埋没することなく叔父の別れは私を生かすのである。






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