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算命学:牽牛星の大切にしたいものと今

私は中殺された牽牛星とそのままの牽牛星と2つ持っているのですが、
引き続き時代の移り変わり、変わるものと変わらないものを考えている中でこちらも自分なりに考えていくことだな、と思っています。

先日は石門星×天将星の活かし方を時代の流れに合わせてもっと見つけていく、検証していく必要があると書きました。
大きな器に財や個を集めていく時代から個の才能同士が小さく集まって物事を進めていく傾向が出てきたという話からです。

その、大きな器が会社等だとすると、必然的に牽牛星の意味合いや捉え方も新しい一面が必要になってくるのではないだろうか。ということです。
昨今、人は過ごしている場所や立ち位置、見えやすい形から脱却していく一方だと感じます。
まだその形は成立していますし、すぐに全部が消えるとも思っていないのですが、確実にその肩書のようなわかりやすいもの、あってもいいけれどないとダメだ!という風潮は薄くなっていますよね。
私も全く気にならなくなっています。
もう、人を量るものさしではない。

実際、命の選別も、階級等の区別も大昔に比べると格段に手放されてきています。

すると、牽牛星(玉堂星の学についてもそうかも)の在り方も時代の変化とともにシフトしていくはずです。
もともと何に突き動かされるのか、役割意識を持つのか、品を保つことができるのか、が大切な星でそれは変わらないでしょう。
でも、学歴や資格、ポジションという面においては柔軟に考えていく必要がありそうです。
一体私たちは何に誇りを持って行動するのか、そこがポイントである気がします。

不定ということがキーワードであるならば、器や周り、外部からのものではなく、自分自身に目を向けていくことがどうしても必要になってくるのだと思います。

何に誇りを持つのか、役割意識を持つのか、その自由度が増す一方、その人その人独特になる面が大切になってきます。
でも、そこに新しい空間が生まれるようなそんな感覚もありわくわくします。


同じように玉堂星の学問についても柔軟に考えていきたいところ。
例えば、これまで当たり前だった漢字練習も計算ドリルも覚えるためというよりも、机に向かって取り組む習慣を持つためとねらいも変わりつつあります。
実際次男はついに気づいてしまいました。
iphoneのSIRIさんが3桁×3桁以上の計算も瞬時に返事で答えてくれることに。。。
ねえ、これを人間がやる意味どこにあるの?
そこから一緒に考えていかなければいけません💦

高学歴を終えても、引きこもりになってその先活躍に向かえない若者も多いと聞きます。
こちらはまだまだ検証しなければいけないのですが、
学歴、学び方についても選択肢が増え変化している過渡期ですから一人ひとりについて考えていかなければかな、と思う今日この頃です。
何のための受験?何のための学歴?
変わることと変わらないことを見ていきたいです。


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