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自分を何かに当てはめなくていい 




既存の固定概念に合わなくてもいい


というメッセージが届いた。


これまで私は、壮大な固定概念に包まれて生きていた。
でもそれじゃ息苦しくて、いつも何か重くて、楽しく歩けなかった。


今は少しずつ鎧を脱いでいっている段階なのだけれど、思っているより長年愛用した鎧が素晴らしいと思い込んでいることに気付く瞬間があった。


固定概念は私の中にあるもので、誰かのものではない。
私の固定概念は私が長年かけて築いたもの。だからこそ、自分で変えられるものでもある。
潜在意識と一体化しているし、これが正しいと思っているうちは全く気が付かなった。


こうするのが幸せっていうのは一概に正解みたいなものはないのに、自分でよく考えずに周りと同じように生きれば安心だと思っていた。


生き方は人の数だけあるはずなのに。


自分の中に築いていた価値観も、たまには見直して更新していくほうがいいのだろう。


立派だとうっとり眺めていた建物は実は牢獄だったのかもしれないと思い始めると、私の中の固定概念は途端に溶けていった。


本当は自分を縛るものは何一つ周りにはないから、自分の偏見と思い込みが理想を創り、自分を閉じ込めていたんだなぁと思った。


みんながそうだから自分もこうならなきゃと当てはめるより、自分には必要のない概念から抜けることを選ぼう。


そうするだけで、魂は喜び震える。


私たちの喜びの振動は目に見えない波動となって誰かの心を震わせ、どこまでも広がっていく。
目に見えない領域のことだけど、実際本当にそうだなと実感する。


私たちがただ存在するだけで価値があるという理由は、きっと個々の振動にあるのだろう。


人生に痛みや苦しみがあるのも、結局のところ痛みや苦しみの重力からどう喜びの振動へ転換するか、なのかもしれない。


私はただ普通の人間であり、たた自分をありのまま生きればそれでいいのかもしれない。


私たちは人の行動や暮らし方生き方など気にならないと言えば嘘になる。
常に自分の外側で起こる世界を見て、勝手に自分で思い込んでしまっている節が多々あるけど、これって本来自分にとっては要らないガラクタだったのかもしれない。


これまで自分にたくさんラベルレッテルをペタペタ貼り、必死になってガラクタを集めてきたなぁと思う。


世間に肩を並べて生きなきゃいけない気がして、やめときゃいいのに横や上を見ては背伸びをし始める。


だから本当の自分が息苦しくなって、しまいには心から嫌だと発してしまうんだろう。


私は嫌だと自分が声を上げるまで、こういうことに長年気がつかなかった。
気がつけなかった。


本当の自分に背を向けていたし、見ようともしていなかった。


ある時、意識を変えて自分に戻ろうと思った。


長年ガラクタで積み上げた自分を崩すのはなかなか難しい。
でもきっと隙間だらけだろうから、一箇所崩すだけでも違ってくるはず。


ガラクタが崩れ落ち、何もなくなったところに、ただの私がいる。
自分の厚い鎧を削いでいくと、身軽になると同時に、不思議と自分の周りに空間が生まれる感覚がする。



時間はゆっくり流れていくし、今いる場所が心地よい空間になる。



今までガラクタ背負ってきた自分も愛おしく思えるなぁ。
何にもなくなった自分は随分さっぱりしたようにも見えるなぁ。


よく頑張ったよね。


これからは身軽で動けるね。
ほんとにお疲れ様。



今、私はただのわたしを生きている。
それが嬉しい。



太陽と地球に手を合わせ、歩きだそう。


顔は自然と上を向き、風を切る目には力が入る。



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