社会に飲み込まれていく「僕」の違和感 ――「象の消滅」の意味を探って――


要点をまとめたレジュメです。

1. 「象の消滅」と「僕」
象の消滅を経験してから「僕」は、行為がもたらす結果とそうでない場合との差異を見出せず、「内部で何かのバランスが崩れ」、外部の物事が奇妙に移るようになってしまう。象の消滅は何を意味しているのか、「僕」はどうなってしまったのか、作者はこの作品を通じて何を表現したかったのか。

2. 時代と登場人物の立ち位置
・作品が発表された1986年はバブル最盛期であり、経済の著しい発展があった
・動物園、業者、町の「象」に対して行った処理
・「象」の処理や態度、「飼育係」と「子供」
・「象」と「飼育係」、「僕」と「彼女」のやりとり、事件と新聞、警察、町長の反応
・山狩りの様子、象舎の必要以上の警備、この事件に対する周りの反応
・「僕」のキッチンに対する意見

3. 登場人物の立ち位置からの仮説
・登場人物の対比と「僕」の考えから分かること
・登場人物同士の関係の二項対立
・「象」の行き先を辿ると見えること
・傍点のついている単語
・記憶に関しての記述
・いくつかの疑問点(象以外でも物語は成り立つか、飼育係に具体的な名前がある)

4. 「象の消滅」で描かれていること
この作品に漂うのは相手の価値を問わない、非打算的なコミュニケーションを求めつつも、それが全く不可能であることに対する嘆きである。「僕」は社会の中で自分に求められている役割を理解し、上手にコミットすることはできても、他人とも便宜的な言語化可能な関係しか築けなくなってしまう。そして「象」が消滅してからは外の価値観が肥大化して主体的価値判断を喪失し、「その行為がもたらすはずの結果とその行為を回避することによってもたらされるはずの結果との間に差異を見出す」ことができなくなる。「象」が意味するのは他者にとって特に価値を生み出さない存在のことであって、居場所を追われて利潤だけを求める便宜的な世界と人々の意識から消されてしまった。この作品では商品として常に価値が問われる他者と、そのシステムに組み込まれていく虚しさを表現したかったのではないか。

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