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首都圏ノンセクト・ラジカルの10年代を概観する①

黒ヘルによる法大闘争(~2013)

 1959年より、サークル連合として設立された「法政大学文化連盟」はノンセクトが主導権を握り、学生運動に取り組んで来た。2000年代からは中核派とノンセクトで構成されていた。ノンセクトは黒いヘルメットと白衣が特徴的であり、黒ヘルと呼ばれている。2001年9月、法政大学でボアソテロの実行、2004年の学館解体を経て学生は厳しい闘いを強いられていた。2006年頃、立て看板の撤去、ビラまき規制、中核派サークルの非公認化に伴う黒ヘルと中核派による大学当局への反発が起こった。3・14法大弾圧では多くの学生が逮捕されることになった。その後も抗議活動と処分・逮捕は続く。黒ヘル、中核派の5人は退学以上の処分を受け、暴処法として起訴されたが、無罪判決(2012年5月地裁、2014年2月高裁)を受けている。黒ヘルは3・14法大弾圧の後に徐々に法大から姿を消すことになる。2008年に文化連盟が非公認となった後も、飲酒闘争や、ゆとり全共闘として「法大解放全国決起集会」(以下法大解放デモ)への参加があった。また、DAも法大闘争への参加を試みた。しかし、文化連盟が非公認化されて数年以上も経ち、サークル連合として自治の機能が失われたため、新しく法政の学生は獲得できず、それ以降は黒ヘルとしての運動は途絶えてしまった。大学当局の傀儡である学祭実行委員などがとって代わるようになり、自治は完全に破壊された。学生の無期停学処分に始まり、周辺メンバーの警察への任意同行、自主退学、失踪、中核派への転向、ゆとり全共闘メンバーの逮捕と解散を経て、その歴史を閉じた。しかし、中核派はまだ運動を続けており、年に2回に法大デモを行なっている。

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