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首都圏ノンセクト・ラジカルの10年代を概観する②

ゆとり全共闘、シェアハウス運動など(~2013年)


① ゆとり全共闘(以下、ゆと全)とは

2011年冬頃、首都圏のノンセクト活動家が結集した。活動家とはいえ、あくまでも大学をめぐる課題について問題意識を抱えていた個人がほとんどである。学内に運動のための土壌が存在していたのは事実であるが、大学ごとに組織されていたわけでもない。これは、外部の政治団体に所属しない大学自治派の運動は連続性がなく、世代間において断絶が生じるためである。例えば早稲田の学館闘争に関わった2000年代初期の学生とゆと全は直接の関係性はない。

法大闘争に参加していた黒ヘルのメンバーが闘争の限界を感じ、関東の他大学との連帯を呼びかけたのが始まりである。3・11の情勢、TwitterなどのSNSなどの普及が背景にある。闘える学生のネットワークを拡大、活動に0-100までの間を作り出すことを目的に結成した。勉強会や文化系サークルを活動の主としている学生もいたが、後に法政派と呼ばれる学生は特に法大闘争に集結した武闘派の学生たちである。一種のムーブメントであり思想性を問わなかったため様々な学生を含んでいた。


② 活動について

 2011年から早稲田の「勝手に集会」と法政の「飲酒闘争」、「東洋鍋」、明治学院大でのビラまきとジグザグデモ、「就活ぶっ壊せデモ」、「就活生組合」などの取り組みが行われた。2012年は、「大学取り戻せデモ」、「スカイツリー鍋」、「大学解放デモ」、「同志社交番反対」などの活動があった。また、2012年7月から神楽坂りべるたんがオープンした。狭い空間であったが、貴重な交流スペースとなった。

就活デモは2009年に北海道大学の学生を中心に行ったのが始まりである。これを真似て、ゆとり全共闘も2011年に東京で「就活ぶっ壊せデモ」を行った。各大学での運動は全く成果を残さなかった一方で、この活動だけは、街宣、有名評論家との対談で注目を浴び、メディアからも取り上げられ、高い評価を得た。


③ 分裂騒動 → 省略


④ りべるたん

 運動家のみならず、芸術家、その他の様々な人なども受け入れる幅広いスペースを設立する。全国のシェアスペースとも連帯し拡大を図った。りべるたんの役割や目標、雰囲気は当初からは大きく変化している。初期は学生運動の流れが濃い。カフェ・バー、「コペルニクス」や、それが無くなってからは、別の物件「第二のコペルニクス」をシェハウスとして借りるなどしていた。「シェアハウス大会議」など、多くのイベントを開いた。また、多様な人物が出入りしていた。分裂後の早稲田のメンバーの一部は学術館構想を立ち上げ、後に信愛学舎のスペースを利用して行うことになった。

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