わたしの場合の大人のADHD      (プロローグ編その1)


大人のADHD。
そもそも千差万別である事を知った。他に別の何かも持っていると尚更で。
とりあえず自分は、数年前に「片付けられない女」だかっていう書籍が売れているという情報により、
これ、わたしだー!くらいにしか思っておらず。
「大人の・・・」とは言え元々持っているものでありながら大人になってから気が付く、
という理由も知った。
あ、ここではその細かいことは書きません。この辺関わっている方は多分ご自身で調べるなりで
ご存知かと思いますので。

「ずっと子どもでいたーい」とリズムにノリノリで楽しく生活していた(母の呪縛はこの話ではあっちにぽい)のだが
やはり子が生まれ育てる、他の「オトナ」のママさん達と関わる、その中で自分は自分らしく生きている上で
様々な問題にぶち当たるのだ。
人からどう思われても全く気にならなかったのがさすが子が関わるとそうはいかないし
とにかく学校からもらってくるプリント類に発狂レベルで混乱するしモノは増えるし・・・

かなりグレーゾーンの夫との二人での生活が長かったせいもあり、たとえもっと早くADHDと診断されても
「なんとなせねば!」と向き合うことも無かったのかもしれない。

ちなみにネットでよくある「ADHD診断」などをやってみると100%を叩き出すほどの生粋のADHDっぽい。
これがちょっと自慢だったりもする・・・そんなあたり、グレーの夫とわたしの娘もかなりの強者。

ADHD同士というのはなかなか心地よいとは思う。
お互い勝手に喋りまくり、同じ話を何度もしようが声がでかくなろうが相手に気を使うことがほとんどない。
いわゆる「普通(そもそもふつうってのが何かよくわからんが)」の友人とお喋りしても、心許している相手であれば
気にせず自分を出すことは出来るのだが。

ところが互いにまたよくわからない人同士で関わる機会が出て来るのが学校等のママさん達である。
ママさんが悪いのではない。私が勝手にビビっているのである。
空気が凍る瞬間や皆が凄い勢いで波にさらわれて行くのがガンガンと叩きつけられる。
いや、叩きつけるのはママさん達ではなく
自分でやらかしている結果というか、まあやらかさないよう努力はしているのだがうまくいかない。

なので、「しゃべらない」という選択をするわけだ。
つまらん。つまらんぞ。
だめだ。PTAの活動とかもう暴れ出して走り回って奇声を上げたくなるレベル。
白か黒かしかできない。ちょうど良い加減が難しい。

よく会うママさん達、保育園からの付き合いの方達にはカミングアウトして
「わし。そんなんだからやらかすかも。ごめーんね」と言って守りを作ってお付き合いをさせてもらっている。

でもな、昔「わたしこんな人なのでやらかすかもしれないけど、ごめんね」と誰に話したかも忘れたが、これが
厳しい言葉で返されたのだ。
「それって、ごめんね、って言ってるってことは迷惑かけるって事を先に言ってるわけでしょ?よくない事だとわかってるんなら
治す努力したら?ずるいでしょ。それ、逃げてるだけ」と言われたのだった。

いや、言って頂いたのだった・・・


きゃああああああいや!つか!だって!どうやってどうすれば良いのかわからんし!
え?そか、その辺非常識であり、大人はそんな事言わんのだな!?

ってなわけで、ちょっとその辺思い出して、病院で診断された時にこの話をしたら
『これは障害だから。できないからこれから治療やいろいろな工夫をして変えて行くんだから』
と医師に言っていただき、私は様々な工夫をして少しでも人に迷惑をかけないよう努力しようと決意したのだ。ふふふ・・・

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