沖縄の歴史と貧困社会の幸福論について考える
貧困社会の幸福論
5月15日(土)15時~17時
沖縄市民会館(中ホール)
講師:樋口耕太郎氏「沖縄から貧困がなくならない本当の理由」著者
に行ってきました😊
樋口先生のお話を聴きながら取ったメモを、更にテキストで残そうと思って清書していたら、
これまで、おじい・おばあから聞いてきた話を思い出し、ポエムが完成しました。
(ちなみに、講話の内容はこちらには綴っていません)
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(以下、さつき作)
5月15日
沖縄が日本へ返還されて49年が経つ。
本土復帰前、沖縄から県外へ出るときパスポートが必要だったらしい。
本土の飲食店では沖縄人お断りの貼り紙がされたり、客のいない店に入っても満席だと断られたりわかりやすい差別があったそうだ。
車は右側を走るし、通貨はドルになった。
そんな中でも沖縄人は踏ん張って生きてきた事を、今は高齢者となった人からよく聞かされた。
90代のおじい、おばあは相手をみて話し言葉を変える。40代より若い世代はうちなー口(方言)を話せない人が多い。
昔、方言を使ってはいけない時代があったそうだ。
青い空、澄んだ海、心地よく吹く風。
樹々の緑、白い砂浜。
色鮮やかな南国のフルーツ。
今と何も変わらない沖縄で、赤い血が飛び散っていた時代がある。
目の前に広がる残酷な世界で生きるには、自分の感情を押し殺し、感覚を麻痺させるしかなかった。そうすることでその時々を生きてきた。
やがて生きることは楽になってきた。
爆弾の飛んでこない家で家族が揃って寝れる喜び。
学校へ行き学べる喜び、働ける喜び。
最初は一つ一つに喜びと感謝があった。
生活は大変だったかもしれないけれど、豊かになってきた。
昔の沖縄を生きた人は何を思う?
後世へ伝えたかったこと。
「命どぅ宝、命は宝だよ」
「あなたは自由だよ」それだけだと思う。
もう良いんじゃない?もう十分だよ。
何から自分を守ろうとしているのだろう。
あなたが子を思う気持ちは本当に子を思っているのだろうか。
親に敷かれたレールはあなたの生きたい未来に繋がっている?
もう戦争は終わった。
自由に好きな言葉を話して良い。
一度アメリカになったことで得たことも多くあるでしょう。
基地はない方が良いかもしれないけれど、基地があるから不幸とも限らない。
基地がなくなっても幸せになるとも限らない。
今ある環境は祖先が残してくれたもの。
今生きている私たちが作り上げたもの。
もう誰のせいにもしないで。
自分に問いかけてほしい。
私は自分の人生を生きている?
誰のものでもない自分の人生を見つめている?
あなたは自由だよ。大丈夫だよ。
あなたの思う人生を歩めるよ。
迷ったときは自分の声を聞いてみよう。
そして思うように動いてみよう。
目の前は暗闇でも、その先に光は見えるでしょう。
歩いていたら道はできる。仲間もできる。
一人じゃない。
これまで沖縄を守ってくれた方々へ
もう大丈夫。
大切なものを守りたい気持ちを信じる力に変えて。今解放しよう。
沖縄が豊かな沖縄であるために。
今日の空は特別に青く感じました。
会場を出て見上げた空。
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