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短歌入れれます(2020.10~)⑨

最終回です。前号評は上から。

本日の一首

カレンダーのマス、カップの丸い縁。目を凝らすとかみさまの指紋。/ 文Twitter) 

定型の音数だと

カレンダー・のマス、カップの・丸い縁。・目を凝らすとか・みさまの指紋。

意味で区切ると

カレンダーのマス、/カップの丸い縁。/目を凝らすと/かみさまの指紋。

でしょうか。句またがりの効果はあまり感じていなくて、頭韻の「か」にアクセント(音の強さ)を思いました。(「か」のあるところに「ま」がついてくるの面白いですね)

普段は目にも留めない日常のささやかなところに、「私」だけが見つける好ましいものへの心寄せを感じました。
〈カレンダーのマス〉や〈カップの縁〉は、気がつくと(汚れだったりが)何かしら残存しやすい部分で、そのような些細なものへ注目すること自体のよろこびが、この一首のコアとするもののように思いました。

この一首を読み深めたときに、結句〈指紋。〉に「指紋がある。」もしくは「指紋である。」どちらも補うことができるところに、意味内容を確定する難しさを感じます。今回は先述のとおり読みを展開しましたが、マスや縁それ自体を好ましいものとして示すことも可能であり、それによっては若干想像される情景が異なるでしょう。すべてを書き切らない言い差しの状態は、読者の側に想像の余地を残しますが、それはつまり読者の想像を任せてしまうということでもあります。
〈かみさまの指紋〉が存在すること自体の提示なのか、ある対象が〈かみさまの指紋〉のように好ましいことを提示しているのか、上の句に出てくる名詞に主体にとっての好ましさが表現されている分、任せてしまうよりも、明確に示されているほうがいいのではないかと思いました。


以上で、今回の「短歌入れれます」は終わりです。ご参加いただいたみなさま、お読みいただいたみなさまありがとうございました!また次回開催時はよろしくお願いします。


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