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短歌入れれます(2020.10~)⑥

前回評は上記よりお願いします。

本日の一首

白いからシロと呼ばれるその犬の親犬もその親犬も白 / ささくれ

個人的に、この一首を評することにそれほど面白さを見出だせていません。その理由としては「情報の提示」によって構成されていることが大きいです。
【テキストに書かれていること(短歌の内容)】
① (体毛が)白いからシロと呼ばれる犬(以下シロA)がいる。
② シロAの親犬(以下シロB)も白(い体毛である)。
③ シロBの親犬(以下シロC)も白(い体毛である)。
「ある犬が体毛に由来してシロと呼ばれている」ことは、情報の提示です。"A is P. " のように簡潔に対象が説明される。説明的な内容である上に、この一首で展開される表現(言い回し)には、読者の想像や解釈の余地はあまりないように感じます。また作者による発見や対象に対する心の機微が述べられているわけでもない。(シロAに対して作者の目を通した表現が展開されるとき、それは情報の提示を抜け出すことになるでしょう)またシロB、シロCについても「体毛が白い」ことだけが伝達されます。
以上の観点から見ると、この作品は語る部分の少ない作品と言えるかもしれません。

そこで、ここからは短歌を読解すること、テキストの読み方について少し考えてみます。

テキスト(言語表現)を読む上で、「(書かれていることを元に)直接書かれていないことを読む」という方法があります。例えば
❶ 体毛が白い→シロと呼ばれるならば、体毛が白いシロB・シロCは「シロ」と呼ばれなかったのか?
❷ シロAよりも先に体毛が白いシロB・シロCがいたにもかかわらず、なぜ改めてシロAに「シロ」と名付けられたのか?
特に❷については「いやいや、シロ以外に名付けようがあっただろ!」といった言外の気づきを得た読者にツッコミをもたらすことになるでしょう。しかしそれが通じない読者には、魅力が届きにくい作品と言えるのではないか。

書かれていないことを読むのは、読解を手助けしつつ、時として妄想と呼ばれる領域に踏み込んでしまう可能性があります。解釈は読者が自由におこなって差し支えないですが、読者側が作品に寄り添うことでその作品が持っている力量以上のものを引き出すこともあります。それが作品にとってどのような影響を与えるのか、よくよく考えたいところでもあります。

※補足
この歌では〈白いからシロと呼ばれる〉とあるように、表記の使い分けで体毛と名称の区別がなされています。その点を踏まえると結句〈その親犬も白〉の白は体毛を指すものとして上記の読みに反映させました。

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